死後52年「三島由紀夫」が心酔した書「葉隠」の中身 「わたしのただ一冊の本」とまで呼んでいた
『葉隠』というと「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」という言葉に象徴されるように、どうしても「死」というものがクローズアップされますが、私には「生」も濃厚に表現されているように思うのです。
「死」のことについて触れた直後に「一生、失敗を犯すことなく職務を遂行することができる」と書いていることもそうです。
武士道とは死に物狂い
また「武士道とは死に物狂いそのものである。死に物狂いになっている武士は、ただの1人でも、数十人が寄ってたかってもこれを殺すことが難しい」と言った佐賀藩の藩祖・鍋島直茂(1538~1618)の言葉を紹介したうえで「正気では大仕事はできない。狂気となり、死に物狂いで立ち働くまでだ」と解説を加えていることもそうでしょう。
『葉隠』の「死」の中に「生」も同時に立ち現れているといえないでしょうか。死ぬことが生きること、生きることが死ぬこと。死を覚悟することによって、人生の展望が拓けてくるというのが『葉隠』が説く、ある意味、究極の「処世術」のように私には感じます。とは言っても『葉隠』の言葉をそのまま現代に活かそうと思えば、それはそれで大変なことになるでしょう。
人間の考え方も、江戸時代と現代とでは相当違うのが当然です。しかし、そうであったとしても『葉隠』の中には、今回紹介した話だけではなく、人間とはどのようなものであるか、どう生き、どう死ぬべきか、危機への対処法など有益な情報がつまっているように思います。三島由紀夫が心酔した書物だけのことはあるといえましょう。
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