松下幸之助は、若造の意見にも素直だった 「きみの言うとおりや」と柔軟に方針転換

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若造が意見をしてきた! さて、あなたはどう対応する? (写真:KAORU/PIXTA)
昭和の大経営者である松下幸之助。彼の言葉は時代を超えた普遍性と説得力を持っている。しかし今の20~40代の新世代リーダーにとって、「経営の神様」は遠い存在になっているのではないだろうか。松下幸之助が、23年にわたって側近として仕えた江口克彦氏に口伝したリーダーシップの奥義と、そのストーリーを味わって欲しい。(編集部)

 

昭和35年(1960)、松下幸之助は5年後の昭和40年に完全週休2日制を実施すると宣言。

それによって、「一日休養、一日教養」が実現できるとした。それを聞いた社員も半信半疑であったが、なんと労働組合がこれは労働強化になると反対した。しかし、昭和40年に予定通り、実施、開始された。

「PHPは週休2日の必要なし!」

ところが、松下電器から異動してきた社員の多いPHP総合研究所は、その導入を松下に拒否された。「PHPは、休まず、社会のために仕事をしなければならない。日曜日でさえ、仕事をすべきであるのに、土日、2日間も休もうという考えは、よろしくない」という理由であった。

しかし、前述の通り、多くの男性社員は、松下電器から異動していたから、ふつふつと不満が出てくる。そこで、当時の責任者のN氏が、数回、松下にお願いをしたが、松下の答えは、いつもと同じであった。とうとうN氏が私に「江口君、言えるときがあったら、君からも頼んでくれ」と言う始末。責任者のN氏がお願いしても、拒否されるのに、私如きがお願いしたところで、拒否されるどころか、激怒されるに決まっている。内心、おおいに戸惑った。

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