それから2、3カ月経った夏の日。日曜日であった。松下の部屋の室温は、つねに25度であったが、さすがに外気は、30度をはるかに超える温度で、そのため、室内も蒸し暑かった。松下は、ベッドに坐って、上半身、裸になり、乾いたタオルで身体を拭いていたが、背中は「きみ、すまんが、拭いてくれんか」と言う。
松下の背中を拭きながら、「この夏いちばんの暑さらしいですね」「ほんま、今日は蒸し暑いなあ。けど、夏は暑くならんとな、うちの扇風機もクーラーも売れへんから」などと話しているうちに、そうだ、週休2日制の話をしようと浮かんだ。
そこで、PHP総合研究所こそ、教養の時間がいること、自分でじっくり勉強をする時間が必要なこと、原稿を書くにも、それなりの知識を普段から吸収しておかなければならないことなどを緊張して話をした。松下幸之助は、10分ほど黙って聞いてくれた。黙っているから、「あかん」と拒否されると思った。すると、
「きみ、よう考えてみれば、松下電器より、きみんとこのほうが、自分で勉強せんといかんな。君の言うとおりや。早速、実施しよう」
実にあっさりと認めてくれた。それまでの自分の考えにとらわれず、なるほどと自身で納得すれば、若造の私の話でも、自分の考えを改めてくれたことに驚きつつ、感動したのを覚えている。
学校教育を変えるための提言で起きたこと
昭和58年(1983)4月、松下幸之助は、研究提言機構『世界を考える京都座会』の活動を始めた。このままでは日本が危ないという危機感から、有識者を糾合して、研究提言をしていこうという目的で組織された。
コアメンバーは、天谷直弘、石井威望、飯田経夫、牛尾治朗、加藤寛、高坂正堯、堺屋太一、斎藤精一郎、広中平祐、山本七平、渡部昇一の11名の先生方であった。毎月第4日曜日に12時から4時間ほどかけて議論を続けた。毎回、松下も出席していた。分科会もいくつかつくったから、この京都座会活動に参加して頂いた諸先生は100名を超えたのではないかと思う。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら