そうしたストレスがたまりにたまり、中学2年生の冬のある日、突然学校に行くことができなくなったのです。
いま思えば、その理由は受験失敗のトラウマだけではなかったでしょう。長期間にわたって蓄積されたストレスがいくつも重なり、「学校に行こうとしても、体が動かない」という状態にまで追い込まれてしまったのです。
いまでは、当時の自分の精神状態を客観的に分析することができますが、ようやく気持ちの整理がついたのは、それから約10年後でした。
不登校になった私は、フリースクールについて書かれた本と出合います。
その本に書かれていた「フリースクールには、『校則』『制服』がない」という内容を見てとても驚いたのを、いまでもはっきりと覚えています。フリースクールには自分が行きたいタイミングで行くことができ、帰りたいタイミングで帰ることができる。
5分遅刻しただけでどなられる中学校に通っていた私は、「こんな『学校』が世の中に存在するんだ!」という強烈なカルチャーショックを受けました。
そうして、フリースクールのパンフレットをとり寄せ、彼らがやっているイベントに参加してみました。
そこで目にしたのは、フリースクールに通っている子どもたちが、ほんとうに楽しそうに時間を過ごしている姿でした。公立の学校では、学校主催のイベントを心から楽しんでいる同級生を見たことがありませんでしたので、非常に印象的な光景でした。
フリースクールに救われた
フリースクールに通い始めて最初の春が来たときのことです。フリースクールでも春休み期間が始まる直前、スタッフが「あしたから春休みですよ」と子どもたちに伝えると、彼らは「はーい」という落ち着いた反応をしたのです。
学校では、長期休みの前日はきまって「あしたから休みだ、わーい!」と子どもたちが喜ぶ姿ばかり目にしてきたので、フリースクールでの反応の違いにとても驚きました。
私の友達の一人は、春休みだと聞いて「じゃあ、いつあくんですか?」と聞き返すなど、まるで業務連絡を交わしているかのようでした。
フリースクールに通い始めて「学校」という存在に対する私の認識が180度変わったことを覚えています。「学校には、行きたいから行けばいいんだ」と心の底から思えるようになったのです。不登校になって、自分のことを責め続けていた14歳の私にとっては、肩の力が抜けた瞬間でした。
子どもが「不登校」になるということは、いままで信じてきた世の中が崩壊することを意味します。そして、人生が終わってしまった、と思う子どももいるでしょう。私はかすかな望みをかけてフリースクールに赴きました。そして、フリースクールに救われました。
結果的には、私が下した決断はまちがっていなかったと思いますし、いまの私があるのも、あの決断のおかげだと思っています。そうした気持ちが、私が新著を書くモチベーションになっていることはまちがいありません。
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