BEAR POND ESPRESSO(ベアポンド・エスプレッソ)は、ここ数年の間に東京を中心に続々と誕生している個人経営のコーヒー店の先駆的存在だ。オーナーバリスタの田中勝幸さんは2000年代後半にニューヨークでバリスタ修業を重ね、2009年、帰国して下北沢一番街に小さなエスプレッソ屋をオープンした。
古い駄菓子屋を改装した店内の主役は、高性能のエスプレッソマシンだ。そこから日々、強烈な個性を放つ一杯が生み出される。
マシンの背面や入口の引き戸には、落書きのような「LOVE ME」の文字がつづられているが、これはニューヨークを拠点に活躍する世界的アーティスト、カーティス・クリーッグの作品。彼もベアポンド愛好者のひとりで、来店するたびに「LOVE ME」をどこかに書き残していくのだ。
文字から大量に滴り落ちた赤いインクの痕跡は、見る者を一瞬どきっとさせる。ベアポンドの入口にはその文字と小さな店名しか表示されていないから、興味のない人はここがアメリカのサードウェーブ・コーヒーの原点を伝える一軒だとは知らないまま通り過ぎていくだろう。
「それでいい」と田中さんは言う。
人気アイドルよりカルト・スター
小さなエスプレッソ屋が100人のうち99人に嫌われない無難なお店になろうとしても消耗するだけだ、と田中さんは考えている。彼が追究するのは100人の中のたった1人の魂を直撃し、病みつきにしてしまう味。そして、顔の見えない人々の顔色をうかがわなくてもいいお店。だからこそニューヨークで勤務していた大企業の職を手放し、人生を丸ごと賭けて、エスプレッソに惜しみない情熱を注ぐことができたのだ。
彼の生き方に魅せられたアメリカのインディーズ・ムービーの監督は、コーヒーをめぐるドキュメンタリー映画『A FILM ABOUT COFFEE』の中でベアポンドを追った。普段、店頭で何気なく見ている田中さんの動作が、上映会場のスクリーンに最高のバリスタの身振りとして浮かび上がる。その声が観客席に響く。「Coffee people have to be sexy(コーヒーピープルはセクシーでなきゃね)」。
ベアポンドの魂はどのように形成されたのだろう。田中さんのエスプレッソ人生の足取りを追ってみよう。
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