楠木:何がそこまで面白いと思ったのですか? 仕事と関係あることなので、やる気になったということでしょうか?
長井:そうですね。仕事との相乗効果はありました。例えば、展示に関係する科目の試験では「自分で企画を作ってみなさい」という課題もあって、大学の学びが仕事で役立ったこともありました。とはいえ、民芸館には学芸員たちがいたので、私はおとなしくマネジメントをしていましたが。
楠木:資格をとってからも、勉強を続けたのですね。
長井:4年間学ぶと勢いがついて、大学を卒業してすぐに修士課程に申し込みました。修士課程も通信制があって、2年かけて修士論文を書いて、修士号を取りました。
楠木:修士号を取得したのは何歳の時ですか?
長井:58歳の時です。
楠木:そろそろ定年も間近な時期ですね。長く民芸館にいて、「本社に戻りたい」とか考えませんでしたか?
長井:実際には、民芸館での仕事が楽しくなって、先のことはあまり考えずに仕事していました。新しい試みを取り込んだり、経営面の課題もあって非常に忙しかったのです。
民芸館ではスタッフとの人間関係も良かったと思います。学芸員もそうですが、売店のスタッフとも仲良くやっていました。60歳の定年退職日には、スタッフが全員集まってくれて感謝状をもらいました。思わず涙が出てきて、「ここに来て良かったな」と思いました。
楠木:60歳以降の雇用延長は考えなかったのですか。
長井:雇用延長するつもりはまったくありませんでした。ただ不動産鑑定士の資格がそのままになっていたことが気になっていて、人事部に「不動産鑑定士の実務経験ができるところなら希望したい」と話したのですが、「そういう職場はありません」と言われました。60歳で定年退職して、その後三友システムアプレイザルという不動産鑑定会社でアルバイトを始め、実務経験を積むことにしました。それと同時に、民芸研究のために大学の博士課程に入りました。
「63歳の時に博士号を取りました」
楠木:新しい会社でアルバイトをしつつ不動産鑑定士の実務修習をして、さらに大学で勉強も続けたのですね。
長井:博士課程は民芸館時代の最後の年に申し込み、南山大学に移られた民芸運動の研究者、濱田琢司(はまだたくじ)先生を追いかけて大阪から名古屋に通いました。通学が大変で、名古屋まで新幹線で行って、そこから地下鉄で1時間もかかりました。お金もかかりますし、不動産鑑定の仕事はアルバイトだから収入はそれほどありません。退職金が目減りするので、妻には睨まれましたね。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら