80代の「現代詩人」の詩が若者世代に響く意味 吉増剛造さんの作品に影響を受けた若き音楽家

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父の影響で、本は、ポール・ヴァレリーや中原中也、三島由紀夫など難解でマイナーな小説を片っ端から読んでいましたね…。

中学生の頃からは江戸川乱歩の『人間椅子』や『芋虫』が好きだったのでミステリー的なものをたくさん書いて楽しんでいました。映像では、アンドレイ・タルコフスキーに大きな影響を受けています。『鏡』(1975)から見始めましたが、最初は全く意味がわかりませんでした。

ところが、何回も作品を見て、タルコフスキーのドキュメンタリーを見るうちに「どの作品もタルコフスキーなのだろう」という印象を受けるようになっていました。何かを説明しようとしてるわけではない。ただ、作品を作る行為を含めて全てが「タルコフスキー」になる。そして、僕にとって吉増さんはそういう作家さんです。「ジャンル:吉増剛造」だと。今回、『背 吉増剛造×空間現代』を見てもそう思いました。

古典に親しんだ少年期が今の自分の音楽活動に影響を与えているのかもしれません。

――インターネット空間上で、音楽はもちろん、文章や映像などたくさんのコンテンツが消費される今、時間をかけて「作品」を作っていることに対する思いはありますか。

僕は作る時間がとても長いタイプなんです。曲を作り始めたら「もっと良くできる」と同じ作品をずっと触ってしまうというか。そうすると、「これはここまでしかできない」と毎回思いながら納品している感じがします。

自分の力と見せたいものの差というか、「ここができなかった」「あそこができなかった」と歯噛みしながら作っています。やはりパッケージにする淋しさみたいなのはあります。パッケージされることを想像していなかったりもしますし。そう考えると今回『背 吉増剛造×空間現代』のように、ライブのほうが合っているのかもしれないです。ライブの時に作品として完結するというか。

自分が参加しているような感覚

――『背 吉増剛造×空間現代』の感想についてもお聞かせください。

ドキュメンタリーは被写体が生々しく映りすぎていて、自分からは切り離されたもののように感じるので得意ではないのですが、この作品は「自分が参加している」という感じがしました。画面に映った事象をどのように捉えるか、それが自分に委ねられており、今の自分がすごく生々しく参加しているというか。七里(圭)監督と吉増さんの思惑にまんまとハマったのかもしれません。

映画の1シーン(©charm point)
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