北条に反旗「人気者・和田義盛」と西郷隆盛の共通点 鎌倉幕府を支えた男がなぜ反乱を起こしたのか
現状の政治への不満が渦巻くなか、若者たちから期待をかけられれば、年長者として立ち上がらないわけにはいかなかったのだろう。明治維新後、西郷隆盛が鹿児島の不平士族に担ぎあげられ、盟友の大久保利通に立ち向かったのと同じ構図である。
義盛は敬愛した将軍の実朝にこう伝えるほかなかった。
「すでに皆が心を1つにしている。もはや私の力の及ぶところではありません」
先に動かなければこちらがやられてしまう
『明月記』の記述によれば、和田合戦に至った、また別の経緯が見えてくる。泉親衡のクーデターについて「首謀者が義盛である」という風説が流れて、義盛は実朝に弁明。許しを得たものの、御所での密議を聞いて嫌疑が晴れていないことを知り、義盛が挙兵を決意したとある。
山本みなみは『史伝 北条義時』で次のように書く。
「義盛が実朝に弁明し、罪を免れた点は『吾妻鏡』と共通するが、義盛が挙兵した直接の原因として、御所での密議を耳にした点は注目に値する」
これまで義盛は、激しい内部抗争を嫌というほど目にしてきた。若手から期待されるなかで、自分の身に危険を感じたこともあり、和田義盛はやむなく挙兵したのではないだろうか。これもまた、西南戦争に至った西郷とよく似ている。不平士族に担がれた西郷が最終的に決起を決断したのも、明治政府による「西郷暗殺計画」のうわさを耳にしたからだった。
先に動かなければこちらがやられてしまう――。和田義盛も西郷隆盛も、そんな状況に追い詰められてしまい、最期は戦地で散ることになった。
【参考文献】
『全訳 吾妻鏡』(貴志正造訳注・新人物往来社)
『承久記』(松林靖明校注・現代思潮新社)
渡辺保『北条政子』(吉川弘文館)
野口実『北条時政』(ミネルヴァ日本評伝選)
安田元久『北条義時』 (吉川弘文館)
山本みなみ『史伝 北条義時』(小学館)
高橋秀樹『北条氏と三浦氏』(吉川弘文館)
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