「仕事が楽しい」の本当の意味を教えよう 「楽しい」と「つらいことだらけ」は両立する

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さらに言うと、その貴重な1%の時間にチャンスが巡ってきて、ヒットやホームランが打ててチームに貢献できれば、確かにうれしいし、楽しいけれど、いつもいつもそううまくいくわけではないでしょう。凡打を打ってせっかくのチャンスを潰してしまったら、決して楽しくはないはずです。また、守備でも、たまに飛んできたボールをうまく処理できず、相手に点を取られてしまったりしたら、やはり楽しくはないでしょう。

つまり、部活動に費やしている時間のうち、自分が活躍できた時間しか楽しくないとしたら、それは全体のゼロコンマ何パーセントという、ものすごく短い時間でのことでしかなくなるのです。しかし、それでも運動系のクラブやサークルをやっていた人は、「楽しかった」と思っているのです。これは、運動系に限らず、あらゆるクラブやサークルに共通なのではないでしょうか。

このように、ホンのちょっとしか楽しいことはないけれど、それでも「今考えると、楽しかった」と感じられるところが、実はサークルやクラブ活動と仕事が共通している点なのです。

社会人の方はご存じだと思いますが、仕事って基本的に大変ですよね。ミスは許されないし、気の合わない上司ともうまくやらなくてはいけないし、お客さんにはどんなにむちゃなことを言われても、言われるがままだし。

でも、たまに、ホンのたまにですが、お客さんから感謝されたり、ヒットを飛ばして上司から褒められたりすることもある。

こういう、たまにあるうれしいことが「楽しさ」になって、四十数年間も続けられる原動力になっているのです。

大学の授業はなぜつまらない?

多くの人が大学の授業を受け続けるよりも、労働時間も長く、休みの少ない仕事に就くことを選びます。その理由は先ほど説明したとおり、仕事を楽しいと感じているから。しかし、その楽しさも実は、ほんのたまにで、実は働いている時間の大半は楽しくない。それでも多くの人は、大学の授業を受け続けるより楽しいと考えるのです。なぜでしょうか?

第1の理由は、大学の授業では、学生が受け身になることです。日本の大学の場合、教員が学生に向けて講義をするスタイルの授業が大半で、学生は基本的に先生の話を聞いているだけになります。これでは自分が参加している実感が湧かなくなっても無理はなく、結果として面白いとは感じられなくなります。

もうひとつの理由は、大学の授業では自分が必要とされている実感がまったくないことが挙げられます。たとえば、あなたが1時限目の授業を寝坊して休んでしまったとします。その場合、クラスのほかの人たちに何か迷惑がかかるでしょうか?

そんなことはありません。あなたが教室内にいようといまいと、授業はいつものように淡々と進みます。授業に出ようと出まいと、誰からも気にしてもらえないということは、朝起きて学校に行くために、つねに自分自身を鼓舞し続けなくてはいけない。これを長く続けるのは、想像以上に難しいことです。だから多くの人は、たとえ給料がもらえたとしても、四十数年間、大学生を続けるのは難しいと感じるのです。

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