日本人が知らない現代韓国に根づく「ある文化」 駅のホームからプレゼントまで――驚きの背景

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詩を読むとは、物心両面で恵まれた者の思弁的遊戯ではなく、傷ついた心を恢復(かいふく)させ、廉潔なる魂を守るための、極めて実存的な営為だと断じてよい。詩の力によって、精神の創傷はやがて痂皮化(かひか)し、落屑(らくせつ)していくだろう。詩の読解には、瞑想における調心と似た効能があるようにも思われる。同時に、詩を書くことも、自助的な療治として機能しうる。

駅のホームドアにも、プレゼントにも

人間は不連続な存在であって、理解しがたい出来事のなかで孤独に死んでゆく個体である。ゆえに、他者とのつながりを欲望する。これを、ジョルジュ・バタイユは名著『エロティシズム』の中で〈失われた連続性へのノスタルジー〉と称呼した。しかしながら、我々は決して独存しているわけではない。よしんば形影相弔う身であっても、おのおのの魂はより大きな世界に包摂されており、詩人は詩を通して、そうした「人生の秘密」の露頭を見せてくれる。すなわち、詩人とは、現実と真実との界面に佇立(ちょりつ)し、魂の声に形を与える人たちのことである。そして、やや大仰な言い方をすれば、我々は真なる詩に触れることで、ある種の疑似的なヌミノーゼ(ルドルフ・オットー)を体験しうるのではないか。本書を繙読(はんどく)しながら、筆者は終始そんなことを沈思していた。(編集部注:ヌミノーゼ=聖なるものを畏敬すること)

こうした詩集が韓国で長きに亙って愛誦されているのは、韓国社会を考察するうえでも興味深い。「韓国人」は詩が好きな民族であるとよく言われる。書店には必ず詩集のコーナーがあり、詩集を専一的に扱う書肆(しょし)もある。駅のホームドアには詩が書いてあって、詩を眺めながら地下鉄が来るのを待つ。プレゼントとして詩集を進呈することも珍しくなく、陋巷(ろうこう)の喧囂(けんごう)や熱鬧(ねっとう)からは想像もつかぬほど、詩が身近なものとして生活の中に深く根を下ろしている。老若男女が詩集を舒巻(じょかん)する姿は韓国の日常的な光景であり、自ら詩作に淫する者も寡少ではない。

詩人の文月悠光(ふづき・ゆみ)は、「生きてる詩人っているんですね!」と言われたときのエピソードを開陳し、「多くの人々にとって、「詩人」はもの珍しい異端者だ」(『洗礼ダイアリー』、ポプラ社)と述べているが、これは日本における詩人への一般的認識の剴切(がいせつ)なる指摘である。ややもすると「ポエマー」などと嗤笑(ししょう)されてしまう日本と、敬意と憧憬(しょうけい)がさまざまな場面で感ぜられる韓国とでは、詩人に対する態度が対蹠(たいせき)的である。なお、日本には短歌や俳句の文化もあり、若年層を含む一定の愛好者を持つが、それについてはここでは措く。

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