「舞いあがれ!」と「ちむどんどん」第一印象の大差 みんなの好きな朝ドラに欠かせない基本中の基本

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もちろん料理をしない、こだわらない人もいるとはいえ、料理は生きる基本でもある。しかもドラマは家族で食べた思い出を大切にすることをうたっている。ところがその料理に向かう姿勢が丁寧に描かれていなかったのだ。これは「舞いあがれ!」における靴をそろえるや箸の持ち方のようなことに当たる。料理を作り慣れている人の自然な振る舞いがほとんど描かれないものだから、視聴者の不満がたまるのだ。

そこで、朝ドラに皆が期待しているものとは何なのか。当たり前のことを当たり前に描写することなのである。ときにはネガティブなことを、倫理に外れたこと、よく知らないことを描いてもいい。でもそれを道理に外れてはいないか、一般的ではないよねと、確認させてほしいのだ。番組のなかでその作業が行われないから、ネットで一般視聴者が、「これおかしくない?」「おかしいと思っているのは私だけじゃないよね?」と確認作業を始めてしまったわけだ。

多様性の時代、「ちむどんどん」がこれまでの常識とされてきたこと以外の価値観を描くことにトライすることは否定したくない。ただ、毎日朝8時に時間どおりに見ている視聴者は不安になりたくないことをわかってほしいだけなのだ。8時から15分間、規則正しく時間が過ぎていくことを当然と思っているから、例えば、いろいろなことが省略されまるで時間が早回しされたり飛ばされたりしているように見える表現に戸惑うのだ(映画を早送りで見る人たちにとってはいいのかもしれないが)。

細かい部分をおろそかにせず、丁寧に伝えるのが大事

ぼんやり座って見ているだけにもかかわらず何様だと作り手は不快に思うかもしれない。ただ、もし、ちょっと変わったことを狙っているならあらかじめ断ってくれるか、ドラマのなかでツッコミを入れてほしい。ただそれだけなのだ。少なくとも「舞いあがれ!」は正しく15分が進行し、誰もが内容のわかるやさしいドラマである。これから子役から本役になったあと、万が一、善行が描かれなかったとしても、劇中で相対化してくれるに違いない。

また、2020年から土曜日が総集編になり、毎回、手を替え、品を替え試行錯誤してきたが、今回は自局のアナウンサーがナレーションになり、明晰な言葉で物語を伝えて、それもホッとすると評価されている。細かい部分をおろそかにしない、神が細部に宿る。丁寧に伝える。それこそが朝ドラに求められていることなのではないだろうか。

木俣 冬 コラムニスト

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きまた ふゆ / Fuyu Kimata

東京都生まれ。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。

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