フィリピンの団結を訴えても社会分断は深いまま マルコス大統領就任100日、歴史修正の動きも

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大統領はマニラ海外記者クラブ主催の晩さん会で2、3の質問を受けたものの、就任以来本格的な記者会見をしていない。選挙期間中も主要な候補者討論会をすべて欠席し、自分を支持するメディア以外の取材には応じなかった。その姿勢は変わっていない。

例外は訪米時のAP通信などとの短時間の会見と、マラカニアン宮殿にテレビカメラを入れて行われた9月13日のインタビューだ。

聞き手となったトニー・ゴンザガ氏は、選挙中からマルコス陣営の顔としてステージに立った女優兼歌手で、就任式では国家斉唱を任された。ゴンザガ氏が「戒厳令は独裁者が権力にとどまるために布告されたと学校で教えられたが」と質問すると、大統領は「当時は共産勢力とイスラム教徒反政府勢力との戦いという2つの内戦を抱えていた。国家防衛のために必要だった」と正当化したうえで、「多くの人々と対話した父が独裁者であろうはずがない」と主張した。

歴史教科書の修正に言及

こうしたマルコス家側の見方が主要なメディアで受け入れられない理由について、大統領は「勝者が歴史を書くからだ。事実に反しているものは修正すべきだ」と歴史教科書の修正に言及した。

ボンボン氏は2030億ペソ(約5000億円)にのぼる相続税を支払っていないが、「この件が提起されたとき、われわれはハワイのヒッカム空軍基地内に拘禁されており、抗弁の機会は与えられなかった。われわれはいまフィリピンに住んでいる。裁判を開き、1987~1989年にできなかった主張をさせてほしい」と訴えた。

おかしな発言である。マルコス家がヒッカム基地にいたのはわずかな期間で、すぐに支援者の豪邸に移っていた。その後1991年に帰国している。最高裁で支払いが確定したのは1998年。その間下院議員を務め、いくらでも主張を展開する機会はあったはずだ。

反論や事実に基づいた再質問にさらされない身内のインタビューに応じたところで、説明責任を果たしたことにならない。

大統領就任1カ月後の2022年8月、映画『メイド・イン・マラカニアン』が国内各地で一斉公開された。マルコス家が国外追放された1986年2月25日までの72時間をボンボン氏の姉のアイミー・マルコス上院議員の視点で描いている。

一家が宮殿を去ったとの報を修道院で受けたコラソン・アキノ氏(政変後の大統領)が「国外に追放したことを確認しなさい」と命じて電話を切り、尼僧らと麻雀をする場面があった。作り話である。史実にない、あるいは誇張したストーリーが随所に展開されている。

マルコス派の首長が職員や市民に無料チケットを配ったり、企業や商工会が大量購入して学校に配布したりしたこともあり、客の入りは悪くはなかった。アイミー氏は「歴史を修正するつもりはない、歴史で語られなかった事実、私たちの家族のみが知る事実を映画化した」と話した。

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