フィリピンを最も安定させた元大統領の足跡 ラモス氏が死去、軍人から文官、そして政治家へ
フィリピンのフィデル・ラモス元大統領(在任1992~1998年)が2022年7月31日、亡くなった。94歳だった。
1986年、マニラ首都圏のエドサ通りを埋め尽くした群衆がマルコス独裁政権を崩壊させた「ピープルパワー革命」の立役者で、その後のコラソン・アキノ政権で参謀総長、国防相として度重なるクーデターの企てを防ぐ守護神役を務め、後継の座を射止めた。退任後も歴代政権に影響力を持った。私が新聞社の特派員としてマニラに駐在していた1990年代半ばに現職大統領だったので、直接接する機会も多かった。退任後も日本やタイでお会いした。
革命の立役者からアキノ政権の守護神へ
軍人から政府高官、そして政治家へと見事に転身したが、長い軍歴、戒厳令で実行部隊を指揮した過去、いかつい顔といった強面イメージの払拭にずっと気を使っていた。それは「革命」後のフィリピンで民主化の定着に尽力する姿とも重なった。
1928年、ルソン島パンガシナン州リンガエンで生まれた。真珠湾攻撃直後、フィリピン占領を目指す日本軍が上陸し、反攻するアメリカ軍も1945年1月に上陸した地である。父は下院議員、のちに故フェルディナンド・マルコス・シニア元大統領の初代外相を務めた。母はマルコス・シニアのいとこだ。
終戦後、アメリカ陸軍士官学校(ウエストポイント)に留学し、イリノイ州立大学を卒業した。帰国後にフィリピン国軍に入隊し、朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍した。左唇上に傷があるが、これは朝鮮戦争の戦闘中、中国兵が切りつけたものだという。1972年、マルコス政権が戒厳令を敷いた際、国家警察軍のトップとして取り締まりの前線に立った。
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