フィリピンを最も安定させた元大統領の足跡 ラモス氏が死去、軍人から文官、そして政治家へ

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マニラに着任した当時、私には軍歴の政治家=権威主義者という固定観念があったが、ラモス氏は必ずしも当てはまらなかった。官僚制度が発達していないフィリピンで唯一、キャリアシステムが機能しているのは軍である。そこで培った組織運営のノウハウが政権運営でも活かし、ステディ・エディー(堅実なラモス)と呼ばれた。

退任後も汚職疑惑のエストラダ政権追放の旗頭となり、グロリア・アロヨ政権の誕生に深くかかわった。キングメーカーと呼ばれたこともあった。

名刺に記した肩書は「市民」

2016年の大統領選では「ミンダナオ出身の大統領誕生をあと押ししたい」とドゥテルテ氏を支持、政権発足後は中国特使に任命され、アキノ元政権下で悪化した関係改善を託された。ところが2016年11月、麻薬戦争で多数の犠牲者が出たことを理由に特使を辞任した。

退任後、レーシック手術で強度の近眼を矯正し、活発に活動を続けた。「市民」という肩書の名刺を持ち、世界を飛び回った。東南アジア諸国連合(ASEAN)憲章の策定時には賢人会議のメンバーとして、全会一致のコンセンサス方式を崩す多数決方式の導入を提言したが、反映されなかった。

私の机の引き出しの奥に一本の葉巻がある。ラモス氏が大統領退任後、2001年に訪日した際にお土産にいただいたものだ。よく葉巻をくわえていたが、火はつけない。フィリピン産のたばこのプロモーションでやっているんだ、と話していた。

2022年の大統領選では、マルコス・シニア元大統領の長男ボンボン・マルコス氏が当選した。ラモス氏は対立候補のレニー・ロブレド前副大統領を押していた。ボンボン氏の大統領就任式には出席していたが、因縁のマルコス家の復活をどのように見ていたか、聞いてみたかった。

柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

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しばた・なおじ

ジャーナリスト。元朝日新聞記者(論説副主幹、アジア総局長、マニラ支局長、大阪・東京社会部デスクなどを歴任)、近畿大学教授などを経る。著書に「ルポ フィリピンの民主主義―ピープルパワー革命からの40年」、「バンコク燃ゆ タックシンと『タイ式』民主主義」。

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