アメリカドルが基軸通貨になるまでは、イギリスポンドが事実上の国際通貨として機能していました。当時のイギリスは海外に植民地を有しており、交易を積極的に行っていたことがその背景になっています。
また、金本位制によりポンドの裏付けとなる金が存在し、信用力が高かったことも後押ししました。しかし、植民地との活発な貿易によってイギリスの金が海外に流出し、結果的に国力を削がれることとなりました。
対してアメリカドルは、ブレトン・ウッズ体制の中で金本位制を採用しつつ、ドルと金の価値を固定しました。これによりドルを仲立ちとして外国通貨と金の価値が固定されるという2段構えの仕組みが作られ、実質的にアメリカドルが基軸通貨となる体制が整ったのです。
ブレトン・ウッズ体制下で、日本円は1米ドル360円に固定されました。もともと終戦直後に設定された軍用交換レートは1米ドル15円でしたが、日本のインフレ(円の価値が下落)が急速に進み、1948年には1米ドル270円まで上昇。
実際は、急激な価格変動により1米ドル160円~600円の間で複数レートが混在していました。
1米ドル360円の単一レートに固定されたのは、1949年2月。当時の池田大蔵大臣とGHQ経済顧問であるジョセフ・ドッジの合意によるものです。これは「ドッジ・ライン」と呼ばれる財政金融引き締め政策で、目的は日本経済の自立・安定でした。
アメリカドルの信用崩壊
1960年以降アメリカの金保有量が激減したため、金とアメリカドルの交換が困難となりました。それまで世界的に優位に立っていたアメリカですが、なぜ金保有量が減ってしまったのでしょうか。それには大きく分けて2つの理由があると言われています。
①ベトナム戦争の長期化 揺れ動く通貨価値
1955年11月から、ベトナム戦争が始まりました。この戦争が長期化し、アメリカの財政状況が悪化。軍費が増大し、アメリカからドルが流出しました。
②アメリカへの輸出増加
第二次世界大戦後、アメリカはヨーロッパ諸国に多額の融資を行いました。それによりヨーロッパは復興に向かい、段々と輸出量が増加。比例して、たくさんのアメリカドルが外国に流出しました。
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