フリー転身2カ月でがんに…笠井アナが見た世界 闘病生活を「セルフワイドショー」にした真意

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「面白い文字が載っているものや、蛍光色とか派手なもの。毎日違ったTシャツを着ると、それだけでも気持ちが上がるんです。妻がテレビ東京勤務だったので、『I ラブ テレ東』のTシャツを買ってきてくれました。そのTシャツを着てInstagramに載せたら、フォロワーさんが喜んでくれました」

長期におよぶ入院生活では、毎日の彩りをどこでつけるか工夫した。

また、入院中は時の移ろいが感じにくい。そのため早い段階で「病室にいても、年間行事をちゃんとやる」と決めた。

クリスマスにお正月、節分にひな祭り、花見、息子の誕生日などなど。正月は、妻がミニおせち料理を作ってきてくれた。節分では、鬼のコスプレと金棒が送られてきて静かに部屋で豆まきをしたことも。

コロナ禍になって、部屋から外に出られなかった笠井さん。世の中から取り残されたような、隔離されたような気持ちにならぬよう、家族や周りの人間がそれを防いでくれた。

明るい話だけを伝えるつもりでいたが…

ブログでは、抗がん剤の副作用で寝込む姿や、髪の毛が抜けていく様子も公開した。当初は、明るいニュースだけ伝えるつもりだった。入院患者でもこんなに前向きで頑張っていると。

しかし、現実は大量の抗がん剤があまりにも辛かった。いいところばかり切り取っていたら、同じ治療をしている人から「笠井は嘘をついている」と思われる。または、がんを患ったことがない人には、「抗がん剤治療ってこんな感じなんだ」と誤解を与えてしまう。そうならぬよう、抗がん剤を打って、わずか4日でどんどん髪の毛が抜けていく様子もしっかり伝えた。

ただし――。最後の砦として、スキンヘッドになった姿だけは、公表する勇気がなかった。確かに、がんサバイバーがYouTubeやInstagramでスキンヘッドで登場する姿を見て助けられたのも事実。ただ、自分がそこまでできるかといったら、勇気はなかった。

復帰後にそのイメージがつくことが嫌だった。

もうひとつ、当時明かさなかったことがある。ステージ4だったということだ。

次ページ妻に必ずSNSを事前にチェックしてもらった理由
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事