大久保利通が国力を育てる模範にした「意外な国」 親近感を持っていたドイツとは違う国だった

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「イギリスは海運業に着目して国内の興業を発展させるべく航海法を制定した。保護政策によって、海運業を拡大させ、興業が盛大になったタイミングで、自由貿易に転換している」

これこそが「英国今日ノ富強ヲ致ス所以ノ原油ナリ」とし、イギリスの勧業政策、つまり、農業・工業などの産業の奨励こそが、同国に「富強」をもらしたと大久保は主張している。

慎重な大久保は「イギリスの事業にこだわって模倣するべきではない」とことわりながらも、地理的な条件をフルに生かしたイギリスこそ、日本のモデルケースとすべきだと打ち出している。

最重要項目として挙げた4つの分野

自らの足で立てる自立した近代国家を目指した大久保。明治8(1875)年5月24日、太政大臣の三条実美に宛てて「本省事業ノ目的ヲ 定ムルノ議」という上告書を提出した。

そこでは「海運の道を開くこと」以外に「樹芸・牧畜・農工商の奨励」「山林保存・樹木栽培」「地方の取締の整備」を最重要項目として挙げている。

とくに農業については「日本国家の基礎は農業にある」として、優れた種子や苗の普及を目指して三田育種場を新設。さらに駒場農学校の開設も実現させた。祝辞で大久保は次のように語っている。

「農をもって国民の生活を豊かにする事業は、まさに今日この日からはじまる」

また大久保は、衣料工業への関心も高かった。富岡製糸場に続く模範工場として、新町紡績所の開設にも尽力。さらに、日本で最初の牧羊場である下総牧羊場で、羊毛の国産も試みている。大久保は製糸や育種について、専門家並みの知識を持っていたという。

とはいえ、もちろん、大久保が何もかもを1人でやったわけではない。そんなことは不可能である。独断のイメージが強い大久保だが、実は人の意見に耳をよく傾けるところがあった。木戸も同じく周囲の意見をよく聞いたが、2人のスタンスはやや異なっていた。

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