メルカリ辞めた「37歳・器用貧乏」の切実な気付き スペシャリスト目指した僕が若手に伝えたい事

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こうして永嶋さんは2人目の社員としてイタンジに入社。Webエンジニアとして、不動産賃貸情報のポータルサイトの開発などに携わっていく。当時のイタンジはまさに世間が想像するベンチャー企業像そのもので、アグレッシブさやスピード感が求められた。

「例えば通常のサービス開発って、仲間集めをしたり法務チェックが入ったりさまざまな手順を踏んで形になるものなので、早くても設計だけで3カ月とか半年はかかるものだと思うんです。でも当時のイタンジは、構想から1週間や2週間でプロトタイプを作ってリリースしていて。それくらいスピードのある会社でした」

自身のキャリアに迷いが生じるように

ベンチャーならではの刺激的な環境に面白さを感じる一方で、次第に自身のキャリアには迷いが生じるようになった。ベンチャーゆえの何でもやる環境、会社の方向性が定まらないストレスが、自身のエンジニアとしての将来を狭めてしまうのではと考えたのだ。

「自分たちで不動産仲介業もやることになったので、不動産広告を出稿したり、物件の内見を担当したり、カスタマーサポートとしてお客様対応をしたり、これはエンジニアの仕事じゃないぞ……ということが増えてきました。当時の自分は『エンジニアとしてもまだまだスキルアップしたい』気持ちが強かったんですよね」

組織がまだしっかり出来上がっていないベンチャーは、どうしてもさまざまな業務を同時に抱える「何でも屋」な社員を生む。それを望んでいる人やゼネラリスト志向の社員はいいかもしれないが、スペシャリスト志向の社員にとってはストレスを覚える場合もある。

そんなモヤモヤを抱えるなか、永嶋さんはイタンジ入社から2年半が経過した2016年頃、メルカリへの転職を決意する。当初はエンジニアとして入社する予定だったが、面談を重ねる中でこれまでの業務範囲の広さやエンジニアリング以外のスキル面も評価され、プロデューサーとして入社することになった。

「きっかけは高専時代の友人がメルカリで働いていたこと。『一緒に働かない?』と誘ってもらったんです。職種は今でいうPdM(プロダクトマネージャー)に近い役割だったと思います。入社後はメルカリUSのヘルプページの開発マネージャー、内製化しているCSツールの開発など、いろんなサービスに携わりました。だんだんとイタンジにいた頃と似た立ち位置になっていましたね」

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