国際芸術祭「あいち2022」から見る芸術の本質 「あいちトリエンナーレ」から再スタートを切る

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「スティーヴ・ライヒ〜スペシャル・コンサート」
「スティーヴ・ライヒ〜スペシャル・コンサート」より(名古屋市芸術創造センター、写真:今井隆之 ©国際芸術祭「あいち」組織委員会)

「あいちトリエンナーレ」はもともと、ダンスや演劇、オペラなどのパフォーマンス上演にも力を入れ、他の芸術祭とは異なる特色としてきた。「あいち2022」になっても、その点についてはブレがない。筆者は、7月30日の夜に名古屋市芸術創造センターで開かれた「スティーヴ・ライヒ〜スペシャル・コンサート」を鑑賞した。

アメリカ生まれの作曲家スティーヴ・ライヒはミニマル・ミュージックの草分けとして知られる。同じ旋律を機械的に繰り返したり、重ね合わせたり、意図的なずらしを加えたりすることにより、特殊な音場が形成される。しかも、ライヴ演奏でも録音を流しながらその上に生音を重ねるといった実験的な側面が強い。現代アートに限りなく近いクリエイターだ。

この日のコンサートは、『ピアノ・フェイズ』(1967年)から始まった。拍手の中、ピアニストの中川賢一がピアノの前に着席する。やがてピアノの音が鳴り始めるのだが、中川が鍵盤をたたいているようには見えなかった。事前に中川が演奏したと思われる録音が多重に流れていたのだ。しばらく経って、中川も演奏への参入を始めた。そこには、録音という過去と生音という現在を行き来しているかのような不思議な状況が出現していた。同じことは録音だけでもできるはずだが、この会場でライヴで接しなければ、行き来する感覚は受け止めることができない。

続いて、フルート奏者の若林かをりやギタリストの山田岳が、それぞれソロで無限を感じさせるような不思議な音場を形成した。最後にはヴァイオリニストの石上真由子ら5人の奏者が『ダブル・セクステット』(2007年)を演奏した。それぞれの奏者が演奏している音形はかなり単純なように聞こえるが、事前収録の録音を「共演相手」とする中でタイミングやズレを意図的に組み入れて完成された音楽の域に高めるには、よほどの集中力とセンスが必要なのではないだろうか。そして、こうした演奏はやはり「STILL ALIVE」だからこそなしうるものだと実感した。

小川 敦生 多摩美術大学教授

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おがわ・あつお / Atsuo Ogawa

1959年生。東大文学部美術史科卒。日経BPの音楽、美術分野記者、『日経アート』誌編集長、日経新聞文化部美術担当記者などを経て、2012年から現職。近著に『美術の経済』。

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