国際芸術祭「あいち2022」から見る芸術の本質 「あいちトリエンナーレ」から再スタートを切る
ある展示室には、木琴が置かれていた。ただし、普通の木琴は各板が左から長い順に並んでいるが、長さの順番はバラバラだ。しかも、それぞれの板の上には言葉が書かれている。ペルー生まれでメキシコを拠点に活動しているリタ・ポンセ・デ・レオンの《魂は夢を見ている 生きる価値とは何かについての詩人ヤスキン・メルチ―と新納新之助と友人たちの言葉》(2022年)という作品だ。
「日向ぼっこ」「ふとんをたたむ」「孫」「お湯」「ごはん」など、書かれているのは、詩人の新納新之助らが選定した言葉という。来訪者は板の順番を自由に入れ替えることができる。だから、長さが無秩序だったのだ。そして、板をたたいて音を出すこともできる。言葉の順番を入れ替えることで異なる意味や状況が生まれ、それらを順番にあるいはランダムにたたくことによって、思いもよらぬ「音楽」が響き始める。人々の多様な思いははたして調和することがあるのか。そんなことを考えさせてくれる。
パフォーマンスアートも
建具でできた二つのセットについているのは、障子とシャッター。笹本晃の作品《リスの手法:境界線の幅》(2022年)だ。筆者は幸運なことに、作家本人のパフォーマンスを見ることができた。この単純なセットで何をしようとしているのか予測がつかないので、動きから目が離せない。結局は障子やシャッターの開け閉めをしているだけなのだが、その行為自体に深い意味があるように思えてくる。
解説文には、「よく見ると、二重の障子の間には疑似餌やスポンジなどが隠され、扉には必要以上に多くののぞき穴が付いています。シャッターの向こう側に車や店舗はありません」「内と外を露にし、意味を反転させる象徴としての『純粋な出入口』といえるでしょう」といったことが書かれている。
確かに障子やシャッターのどちらが内側でどちらが外側かはわからない。この作品において内と外を決めるのは、鑑賞者の自由とも言える。素晴らしい世界へ飛び出していくのか、瀟洒な部屋に入っていくのか。開けなければすべては始まらない。そんなことを語りかけてくれた。
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