「30億円の絵画」公開のポーラ美術館に見た変化 「モネ」で有名な美術館が、現代美術にも熱視線

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ゲルハルト・リヒター《抽象絵画(649-2)》(1987年、油彩、カンヴァス)の展示風景(撮影:小川敦生 (c) Gerhard Richter 2021 (20102021))
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神奈川県箱根町のポーラ美術館が、2020年に香港で開かれたサザビーズのオークションでドイツの現代美術家ゲルハルト・リヒターの作品を約30億円で落札した報道は記憶に新しい。

《抽象絵画(649-2)》と題された1987年制作の油彩画だ。その作品が、このほど「ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ 新収蔵品を中心に」(9月6日まで)と題された企画展で公開された。

リヒターが象徴するポーラ美の変容

「この作品には、はたして価格に見合う価値があるのか」。筆者は現地で実物を鑑賞しながら、そんな野暮なことを考え始めた。そしてこの1枚が、ポーラ美術館という企業美術館のあり方の変容ぶりを象徴することに思い至った。

「抽象絵画」という言葉自体は、現代美術を語るうえであまりにも当たり前に使われているので、そのまま作品名になっていることについては雲をつかむような印象を持つ方もいるかもしれない。

抽象絵画が西洋美術の世界で存在感を表し始めたのは、20世紀に入ってからである。1900年代にピカソとブラックが人物などの姿を幾何学的な形に解体するキュビスムという画風を創始して大きな門が開き、1910年代にカンディンスキーやモンドリアンが、具体的な風景や人物の描写から離れる斬新な表現を打ち出した。同世紀半ばにはカンヴァスに絵の具を落として散らすような手法を創案したポロックらが米国発の抽象表現主義で世界を席巻する。

1932年に旧東ドイツのドレスデンで生まれたリヒターの作風も、美術史の流れの中で生まれた。リヒターは1961年、ドイツを東西に分断する「ベルリンの壁」が築かれる数カ月前に旧西ドイツのデュッセルドルフに移住した。旧西ドイツ地域で抽象表現主義の作品を見る機会があり、啓発されたからだという。旧東ドイツ地域にいたままでは自由な創作活動はできなかっただろうから、ぎりぎりのタイミングで移住したことになる。

ただ、その後発表したのは、具象性の高い「フォトペインティング」と呼ばれる絵画のシリーズだった。「フォト」、すなわち写真を油絵の具で模したものだったのだが、リヒターの独創性は、あえてモチーフをぼかして描くことにあった。ぼかしの存在が、描かれているのが実際の風景ではなく「写真」という媒体であることを鑑賞者に意識させる。写真が、写っている風景の迫真性を主張するのとは、逆の方向性を持つ。何と斬新な発想だろうと思う。今回の展覧会で展示されている1966年制作の《グレイ・ハウス》は、そのうちの1点だ。

ゲルハルト・リヒター《グレイ・ハウス》(1966年、油彩、カンヴァス)の展示風景(撮影:小川敦生)

では、その「フォトペインティング」と、その後生まれた「抽象絵画」はどんな関係にあるのか。同館で両者の実物に接して、その関係をひもとくヒントを得るような経験をしたので伝えておきたい。

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