国際芸術祭「あいち2022」から見る芸術の本質 「あいちトリエンナーレ」から再スタートを切る
愛知芸術文化センターの8階と10階に入っている愛知県美術館は、全室を「あいち2022」の展示に使っている。芸術祭のテーマにも引用されている河原温の作品の展示を見ておくのは必須だろう。ただし、多くの人は「これが作品なのか?」と疑問に思うのではないか。特に美しさを放っているわけではない。本当に電報を並べているだけだからだ。そして、そんな疑問を持つことを恥ずかしがったり、自分が無知だと思ったりする必要はない。現代美術には常識にあらがうこと自体に存在価値がある場合が多々ある。
この作品は、その結果として出てきたものの一つである。ただし、どの電報にも「I AM STILL ALIVE」と書いてあることを確認することには意義がある。普通は、そんな言葉を複数の人物に宛てて発信する人間などいないだろう。河原は、執拗に電報を打ち続けたのだ。その様子を想起すると、心を動かされる。芸術とは心を動かすものである。
樹木の年輪から歴史を表現
床に丸太らしきものが転がり、壁には輪切りにされた丸太が、絵画のようにたくさん掛けられている部屋があった。スロバキア生まれの作家、ローマン・オンダックの《イベント・ホライズン》(2016年)という作品の展示室だ。
1本の樹木の幹を100枚の盤に切断し、その年輪に応じた1917年から2016年までの歴史的な出来事を刻印した作品だという。1917年は、ロシア革命の年である。翌年には、第一次世界大戦が終結し、さらにその後、中国共産党が結成された。そうした出来事が切断された盤面の一つ一つに刻印されているのだ。毎日1枚ずつ、壁に打ち付けられた金具に掛けられ、会期最終日の10月10日には、すべての盤を壁面に移動するという。
ただ年表を眺めるのとはまったく違った歴史の見方を提示する。美術作品たるゆえんである。見て何を感じるかは、もちろん鑑賞者の知識や環境、経験によって異なるだろう。100年の歴史とともに過ごしてきた1本の樹木を見て、人間は生まれる前に起きたできごとを振り返りながら、現代を見つめ直す。そんなことをさせてくれたことに、筆者は感心した。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら