筆者らは、欧米で発展してきた「効果のある学校」(effective schools)研究を参考にして、学力のふたこぶラクダ化を克服する教育実践に関する研究を積み重ねてきた。「効果のある学校」とは、教育的に不利な環境にある子どもたちの学力を下支えしている学校のことである。
関西、とりわけ大阪を中心として調査研究を進めてきた結果、日本のなかにも「効果のある学校」と呼べる学校がたしかに存在しているという事実を、筆者らはつきとめることができた。
そしてその背後には、長い歴史をもつ同和教育の実践があることがわかった。同和地区の子どもたちの低学力および低い進学率を克服すべく、多くの同和加配教員が配置され、集団づくりや部落問題学習を軸とする体系的な教育実践が積み重ねられてきた。
その成果として、しんどい子たちの学力を下支えする教育風土が成立したのである。ただし、2002年3月をもって一連の同和対策法は失効し、加配教員の数は激減することになる。そして、かつての同和教育は、人権教育という新しいコンセプトのもとに再編されていくこととなる。
現在の時点においても、大阪を中心とする関西では、しんどい層を支えようとする学校文化は健在であり、近年の教育社会学においては、例えば「力のある学校」「排除に抗する学校」「ケアする学校」といったコンセプトで、その特徴を新たな学問用語で整理しなおそうという研究が進められている。
新自由主義的教育改革が「学校の二極化」を促進
だが、他方で懸念されるのが、筆者が「学校の二極化」という言葉で整理した公立学校についての現状である。2000年代に入ったばかりの段階で「学力の二極化」の趨勢が明らかになったのだが、ほどなくそれと並行するように「学校の二極化」が見られるようになってきた、と筆者には思えるのである。
学校の二極化とは、すなわち公立学校の内部で「評判がいい学校」と「評判がよくない学校」に分化する傾向が進んでいるという事態である。その背後にあるのが、新自由主義的教育改革の影である。
もともと私立学校と公立学校の間には、威信の格差があったと言いうる。地方都市にいくと、私学志向よりも公立志向が強いというケースもあるが、大都市圏においては私立学校のブランドが圧倒的に優位である。そして今日では、公私間だけでなく、公立学校の間でも二極化が強まっていると思われるのである。
公立学校の二極化を進行させる代表的な新自由主義的政策が学校選択制である。日本では2000年の東京・品川区を実質的な皮切りとして、2000年代に学校選択制を採り入れる自治体が増え、最盛期には全国で十数%にあたる市町村が何らかの形での学校選択制を採用するにいたった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら