次に与えられたテストは、非常にむずかしくて誰も解けないものだった。だが生徒たちの失敗に対する反応にもやはり劇的な違いがあった。知能をほめられた生徒たちは、自分が失敗したのは結局のところ問題を解くのが得意でない証拠だととらえてしまった。努力をほめられたグループは、テストにずっと長く取り組んだし、それをはるかに楽しみ、少しも自信を失わなかった。
最後に実験がひととおり終わってからはじめに立ち返り、最初のテストと同じ難易度のテストを受けることになった。どうなっただろうか? 知能をほめられたグループの実績は、難易度が同じにもかかわらず、最初のテストに比べて20パーセント低下した。だが努力をほめられたグループの点数は30パーセント増加した。失敗がむしろ彼らを駆り立てたのだ。
こういった違いすべてが、最初のテストのあとに告げられたわずかな言葉の違いに左右されたのだ。
知性をほめることは意欲と成績をそこなう
ドゥエックと仲間の研究者はこの結果に非常に驚き、国内で場所を変えてまったく異なる人種的背景の生徒たちを選んで、実験を3回くり返した。3回とも結果はまるで同じだった。「これまでになくはっきりした結果が見られた」と、ドゥエック。「子どもの知性をほめることは意欲をそこない、成績をそこなう」。
理由を見つけるのは簡単だ。知性に対するほめ言葉が、受け手を固定した気がまえに向かわせるからだ。こういった称賛は、知性がなにより重要で、知性を変える努力にまさると示唆する。そして真の学習を避けて、簡単な課題達成を求めるよう促してしまうのだ。「気がまえは人間の頭の中で実行中の説明をかたちづくる」とドゥエックは書いている。「それがすべての解釈プロセスを導くのである」。
次に挙げる才能志向のほめ言葉を見てもらいたい。
「たちまち覚えたね、なんて頭がいいんだ!」
「その絵はすごいよ。マーサ、この子はまさにピカソの再来だなあ!」
「すごく優秀だね。全然勉強しないのにAを取ったんだから!」
すばらしいはげましの言葉に聞こえるし、生徒たちや誰に対してもかけられる、まさに自信を高めるたぐいの言葉であるような印象を与える。だがもっとよく聞いてみよう。裏に隠されたサブリミナルメッセージが聞き取れるだろうか。
早く覚えられなかったら、頭が良くないのか。
あまりがんばって描かないほうがいいな。ピカソではないのがばれるぞ。
下手に勉強したら、優秀だと思われなくなっちゃう。
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