ピアニスト、指揮者、社長、反田恭平が開く新境地 「クラシック音楽をビジネスとして成功させる」
楽譜と真剣に向き合い、多くの文献を読み、ショパンについてとことん研究しました。そして、コンクールで何をどの順番で弾くか(プログラミング)、とても深く考えた。1~3次予選の各ラウンドで伝えたいのは何か、それをどう表現するか、僕自身の個性をどのように出していくか。
例えば3次予選では、これまでこのコンクールで誰も弾いたことのなかった「ラルゴ(聖歌):神よ、ポーランドをお守りください」から、有名な「英雄ポロネーズ」へという構成に挑戦し、とくに大きな反響をいただきました。
――演奏するに当たって戦略が必要なのですね。
プログラミングについては、最近出した自叙伝エッセイ『終止符のない人生』に詳しく書きました。要は、すべての選曲に意図と決意があります。
5年置きに開催されるコンクールでは、集まるコンテスタント(参加者)のタイプや審査の傾向が毎回かなり変わる。事前にどんなコンクールになるかはわからないので、演奏プランをいくつも用意しました。
僕は表現の幅はあるほうなんです。かっちり系とか、自由にとか、メランコリックにとか。言い換えれば、ピアニストとしてそれができなければ駄目だとも思っています。
コンクールに出場すること自体がリスクだった
――ショパンコンクールに出場する以前から、日本で「最もチケットの取れないピアニスト」と言われていました。
ありがたいことに、日本で順調に仕事ができています。だからこそコンクールに出ることは、それ自体がリスクでした。
結果を出せなかったら、これまでファンでいてくださった人たちが離れていくかもしれない。それに、予選からすべての演奏がユーチューブで全世界に配信されました。自分のことを知ってもらう大きなチャンスである一方、失敗すればそれをもって「反田恭平」を判断されてしまうリスクもある。
ただ、ショパンコンクールには30歳という年齢制限があり、今回が僕にとっては最後の機会(出場時は27歳)。出なかったら一生、後悔すると思いました。何より、JNOの仲間の存在が出場を後押ししてくれた。JNOがオーケストラとして発展するためには、旗振り役の僕がもっと有名にならなければいけないと。
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