その際、貧しい農民は限られた資源を男の子のほうに投じようとするために、男女の就学率に差が出ます。日本でも明治期にはその現象が見られました。そこで女子にも学校教育が日常生活に役に立つものであることを示すために、裁縫教育が重視されたのです。今の時代、裁縫はボタン付けだけでほぼ十分で、パジャマを縫って作る人なんてほとんどいないだろうと思うのですが、いまだに家庭科のカリキュラムで裁縫関係の時間が多いのはその名残です。
そもそも日本の大学進学率(2013年度)も、四年制大学に限ると女性(45.6%)は男性(54.0%)よりも低くなります。高等教育在学率という、高卒以降5歳上までの人口を分母、在学者を分子とするデータで国際比較をすると、日本のように女性のほうが男性より低い国は、欧米先進国にはほとんどありません。先進国では、普通は女性のほうが、高等教育在学率が高いのです。
戦前の東京帝国大学は、女子の入学を認めていませんでした。現在の東京大学の女子学生の比率も、2014年度の入学者で約19%。こんな「性差別的な」大学では世界に顔向けできないのですが、受験者の性比とほぼ同じなので、まずは受けてもらうしかありません。私たちもあの手この手で、女子学生に受験を勧めるキャンペーンをやっています。
そこで壁になるのが、「女の子は浪人なんかしなくても」「女の子は地元でいいから」といった、親や周囲の考え方なのです。男子ではそれがないために、「浪人」「地方」の女子学生比率が極めて低くなります。これは、マララさんが告発しようとしたものと、同じ現象ではないでしょうか? もちろん、反対したら銃で撃たれるわけではありませんが。
イスラームの「性差別」は対岸の火事ではない
イスラームの話をしようと思っていたのに、いつの間にか私の勤務先が抱える大問題に返ってきてしまいました。そうなのです。「イスラームと性差別」というのはよく取り上げられるテーマですが、決して対岸の火事ではなく、実は私たちの社会が抱えている問題と大して変わらないのです。
「女の子なんだから浪人なんかしないで、卒業後は適当に働いて、あとは主婦になれば」という考え方と、「イスラームの社会は性差別的である」と批判されるときの論点とが、ほぼ同じなのだということに気がついていただけたでしょうか? だとすれば私たちは、まず私たちの社会のあり方を考え直すべきなのではないでしょうか?
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