「お金を使わない私」が「お金を稼ぐ」ことの意味 「買わない生活」最終回、仕事と報酬を考える

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で、それはそれで我ながら非常に素晴らしい事態なのですが。

ここでまたまた、深刻な難問が発生したのだった。

お金などもらわずとも「いい仕事」はできる。となれば、これからはボランテイアでいくのか? 働くがお金は受け取らない、それが正解なのだろうか? 

確かに、働くとは「はたをラクにすること」。つまりは人助け。人を助けること自体がやりがいであり報酬なのだ。そう考えたら、お金をもらわない方が相手はさらに「助かる」に違いないのだから、人助けの度合いはさらに高まる。お金などもらったところで使い道がないんだったら、それが一番素晴らしい働き方であるようにも思える。

で、実際に、そのようなオファーは次々とやってくるのだった。

講演をしてほしい、原稿を書いてほしい、取材を受けてほしい、という依頼がやってきて、なんとなんとありがたや、しかし報酬についての記載がないので改めて尋ねると、「申し訳ないのですが予算の関係でお支払いできません」「本の宣伝につながるということで無報酬でお願いします」などというお返事が返ってくるのである。あるいは、無報酬とまではいかずとも、これも先方の予算の関係とのことで、限りなく無報酬に近い金額の提示が返ってきたりする。

無論、講演だの執筆だのという仕事は材料費がかかるわけではないので、別にタダでも足が出るわけじゃなかろうと言われればその通りである。いわゆる「相場」もはっきりしていない。なので最初の頃は「仕事=お金」という固定観念を打破したい思いもあり、そのような仕事も時間が許せばお引き受けしていたのであった。

無報酬・低報酬のオファーを受けない理由

だが結論から言うと、今は原則、そういうことはしていない。

端的に言って「疲れてしまった」のである。こちらの心が狭いというか、人間がなっていないせいなのかもしれない。でもそういう相手とは、どうしても爽やかな気持ちで仕事をすることができなかった。

だって、こちらも仕事である以上はたとえ報酬が少なかろうがゼロだろうが手を抜くということはしないのである。っていうかそんな器用なことはできない。準備をして、緊張して、懸命に仕事をする。そしてその結果「何も返ってこない」ということには、どうしたって消耗してしまうのだった。

いくら「ありがとうございます」と口で言われても、いえいえどういたしましてという顔がこわばるのをどうすることもできない自分がいるのだった。

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