「お金を使わない私」が「お金を稼ぐ」ことの意味 「買わない生活」最終回、仕事と報酬を考える

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思えばこの時、私は初めて「仕事」ってものについて真剣に考えたのかもしれない。

それまではずっと、仕事とは「金を稼ぐこと」だと単純に考えていた。

もっとはっきり言えば、お金をたくさん稼げる仕事が「いい仕事」で、そんな「いい仕事」ができる人間こそ上等なのであると思い込み、そのために懸命に努力せねばならぬと心の底から信じ込んでいた。

でもこの時、私は人生で初めて、本当にそうなのかな? と思ったのだ。

なにしろこの時の私の「仕事」(フェイスブックへの投稿)はもちろん1円にもならなかった。でも私は一生懸命仕事をしたのだった。つまりはできうる限りの面白い文章を書いて、「いいね」をもらい、コメントをもらいたかった。

ま、単なる承認欲求と言ってしまえばそれまでだが、何はともあれこの時の私はまちがいなく、その「仕事」に一生懸命頑張った。真剣だった。正直言えば夜も寝ずに原稿を考えたりしていた。いや全く不思議なことだった。だって何度も言いますが1円にもならないんですよ? でもそれは私の意識の中ではまちがいなく「いい仕事」だったのだ。

仕事とは「世の中とつながること」

仕事ってなんだろう。

無論、おカネを稼ぐ仕事も仕事である。でもそれは、世の中にあまたある仕事の1つの形態に過ぎないんじゃないだろうか。仕事とは結局、お金をもらおうがもらうまいが、誰かの役に立つこと、誰かに喜んでもらうこと、なんだと思う。

私の尊敬する友人が「はたらく」って「はたをラクにすること」だって言ってたけど、全くその通りだと思うのだ。自分の力で何かを生み出して、誰かに喜んでもらうこと。誰かを幸せにすること。

つまりは世の中とつながること。

それが仕事なんじゃないか。

なるほど。だから私は仕事がしたかったのだ。アーリーリタイアをして仕事をせずに生きることは、私にとっては世の中とのつながりを断つことなのだった。ただ何かを消費して生きるだけでは、私は生きている感じがちっともしなかった。

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