青木さやかさん「パニック症が楽になった言葉」 生放送で心臓ばくばく、脂汗に手汗の日々

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ある時、同じような悩みを持つ30代の女性と話す機会があった。

「パニックってつらいですよね、死んじゃうんじゃないかと思うんですよね、大げさでなくて」
「そうね、本当に。何度か救急車にもお世話になったから」
「そうなんですか」
「息ができない、となるの。でも救急車乗ってるうちにおさまってきて、あれ? ごめんなさい、平気になりました、なんて隊員の人に言ったりして」
「なんだか、わかります。さやかさんの言ってること」
「安心したからおさまった、なんてことも1つあるかな、と思って」
「はい」
「自分が安心できる環境に整えておく、というのが大切かなと思いました、その時」
「だから治ったんですか?」
「治った、とも思っていなくて。クスリを飲まなくてもいいくらいにはなった、という感じかな。わたしは小さなことを大きく捉えてしまう、もう駄目だーみたいな、人からするときっと、まあいいかと思えるようなことで」
「はい」

「でも」じゃなくて「はい、わかりました」に

「クスリは飲まなくてもいいけど、自分をもっと整えていきたいし、見直していきたいと思ってます、それが良くなっていってる理由かと思ったり。わたしの場合はね」
「何を見直すんですかね?」
「先輩にね、『はい、わかりました』と言ってたら楽になるよ、と言われて」
「はい」
「でも、という言葉よく使ってるなーと思って、ははは」
「使いますよね、使います」
「良かれと思って使うことも多くて。相手を思ったり、1つの仕事をより良いものにするために」
「はい」
「だけど、それもやめてみました、相手を思って、は余計なお世話だなぁと思いまして」
「ありがたいですけどね」
「聞かれたらね、答えるけれど、それ以外は余計なことかもしれない、とも思って」
「さやかさん、聞かれたときだけアドバイスなさるんですかね」
「はい、聞かれたときはしっかりと」
「へー」
「誰も聞いてきませんけど! ははは」
「……」
「はははは」

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