スポーツ庁はあるのに、そういや音楽庁がない訳 業界として成長したか立ち後れたかの差はどこ?
私は、音楽とスポーツの格差の最大の要因は、組織化できたかどうかではないかと考えています。原点は恐らくオリンピックの産業化です。
私は小学生時代に北海道に住んでおり、ちょうどその1972年に札幌オリンピック冬季大会がありました。当時のオリンピックは「アマチュアの祭典」とされ、プロに出場資格がないばかりではなく、使用するスキー板などへのメーカー名の表示すら禁止され、大会を企業の広告宣伝に使わせない徹底ぶりでした。それを破ったとして出場停止に追い込まれた選手もいたほどです。
選手はみなアマチュアで企業勤務ですから、国内競技に出場する際は、公式試合でも所属する企業名がかろうじて放送される程度でした。当時のスポーツのほとんどは産業化しようにも理解が得られず、試合開催の資金捻出にも苦労されただろうと想像します。
その風向きが変わるきっかけは、札幌オリンピック終了後の1974年、オリンピック憲章からアマチュア規定が削除されたことです。これによってスポーツの世界は大きく変わりました。特に1980年にサマランチ氏が会長に就任すると、プロ選手出場容認、商業化が積極的に推し進められました。野球、テニス、ゴルフなどプロ中心だったスポーツが競技種目に組み込まれ、プロが積極的に参加するようになったのです。企業の宣伝機会にもなりましたから、大きな収入源になるとともに、開催規模も費用も膨らんだのです。
組織化できなかった音楽業界
こうしてスポーツ振興は商業化、ビジネス化への批判を受けながらも、オリンピックを起爆剤として大きな進展を見せ、市場としての規模を拡大するとともに、より多くのファンを獲得し、スポーツ選手への経済的支援や練習環境の充実が図られたのです。
一方の音楽界は組織化が遅れ、日本レコード協会や日本オーケストラ連盟のような局所的な団体はあるものの、音楽業界全体が組織化されることはありませんでした。音楽教室には教室の先生方の指導力向上などを目的とした会員組織はあるものの、業界の意見を集約し、実現を図ることを目的とした団体はありませんし、プロ野球などで見られる選手会に該当するような、集団で待遇改善を考える演奏家の団体も見当たりません。
そのためオリンピックの名のもとに結集したスポーツ界とは対称的に、業界としての意見が政治に反映される機会は少なく、業界としての発展が立ち後れたと考えられます。
なぜ組織化されないと業界としての発展が遅れるのか? 次回(7月6日配信予定)ではそれを、経済学のゲームの理論から探ってみたいと思います。
前回:音楽大学がここまで凋落してしまった致命的弱点(6月22日配信)
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