がん患う医師「死に目に会うことは重要ではない」 大事なのは「元気なうちに会っておくこと」
私の尊敬する先輩で社会学者で宗教家の、大村英昭先生の死に方のダンディズムをあらためてしっかり受け止めています。大村先生は大腸がんを患い余命1年以内と言われていましたが、結局5年ぐらいはお元気でした。
さすがに最後は体調が悪くなり、入院をされてお亡くなりになりましたが、大村先生は元気なうちから私に「寝込んだら見舞いは不要」ときつく申しつけておられました。
さすがに気丈な方でも、がんの末期は辛いものです。家族以外にそのような姿を見せたいと思わないのも、1つの考え方でしょう。私も元気なうちは友人たちと会いますが、寝込んでからは面会は拒否しようと思っています。しんどいときに友人たちに訪ねてこられても、疲れるだけですからね。
葬儀は人との別れを意識する儀式
さて、それとは別に、最近は訃報が届いても葬儀にはなるべく参加しないようにしています。さすがに親族が亡くなったときは葬儀に出席しますが、そのほかの場合は、よっぽど親しい間柄でも葬儀には行かないようにと考えています。
平素友人なら、見舞いや葬儀の前にしっかりといろいろな話ができるはずです。そしてよくよく考えてみると、そのような友人は2、3人しかいません。もうそういう友人たちとはすでにゆっくりと話をしましたので、私が急に倒れて亡くなっても、特に後悔することはないでしょう。
私がお葬式に行かない理由の1つは、葬儀が完全な儀礼であること。そしてそれが最後のお別れになることです。
勝手な想像ですが、葬儀に参加しなければ、その方はまだ私の頭の中では生きていると感じるのです。特にめったに会わないような方に関しては、遠くで生きておられるのではないかと考えるようにしています。当然それほど親しくないので、わざわざ会いに行って話をすることもありません。
葬儀は亡くなった方を見送るのに大切な儀式だと思いますが、8割以上の方は義理で参加されているのが正直なところではないでしょうか。私の場合は、家族に看取られて旅立っていけばそれで満足です。
有名な方は家族葬の後にお別れの会を開くこともあると思いますが、私にとってはそれはどうでもいいことです。でも、親しい友人たちが勝手にお別れの会をしてくれるのまでは、拒まないつもりです。
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