がん患う医師「死に目に会うことは重要ではない」 大事なのは「元気なうちに会っておくこと」

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完全にそこまでの状態にならなかったので、「比較的楽ですよ」と気楽に言うわけにはいきませんが、昨年の暮れはその一歩手前まで状態が落ち込みましたので、大体予測がつきます。先述したように、がんの遺伝子に対する治療薬が奇跡的に効き、死の淵からよみがえってまいりました。

がんの終末期は、点滴や栄養補給などをしなければ、だいたい食事や水分を摂らなくなってから1週間以内に亡くなることが予想されます。自宅で緩和ケア医に往診していただくことによって、たとえ亡くなっても診断書を書いていただけるので、警察沙汰にはなりません。

家族も24時間待機する必要もなく、朝と夕方ぐらいに顔を見てくれれば私は満足です。その間に絶命しても、それは別に気にすることではありません。

「死に目」のことは気にしないでいい

家族には、私の「死に目」に立ち会うことはあまり気にしなくてよいと伝えています。妻も娘も全員医師なので、患者さんの診療を第一に考えてほしいと思っています。

参考に私の母が亡くなったときの話をします。母は亡くなる1カ月ぐらい前から食欲がなくなり、アイスクリームや水分などを少しは口に入れていました。しかしそれも次第にできなくなっていました。

施設からは「点滴はチューブ栄養をしますか?」というような話もありましたが、すべてお断りをしました。母の死が近いと感じた私は、足しげく施設を訪問しました。

亡くなる数日前までは、なんとなく会話らしいものが成立していました。ある日施設から「状態がおかしいのですぐ来てほしい」という連絡をいただいたので、すぐに馳せ参じました。そのときには母はすでに亡くなっていました。

その時間は13時ぐらいでしたが、のちほど死亡診断書をいただいたら、死亡時間が16時になっていました。おそらく、そこの担当の先生が到着した時間ではないかと推測されます。

母が正確には何時ごろ亡くなったか私にはわかりませんが、死に目に会うことができませんでした。しかし最後にはいろいろな話ができて、自分なりに十分な看取りができたと思います。

「死に目」に会うことは大切かもしれませんが、もうそのときには既に意識はなく、問いかけに反応することもありません。もし大切な人だと思うなら、少し元気なうちにいろいろな話をしておくことが大切だと思います。

最近は、お見舞いや葬式にも行かなくなりました。

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