理解無視、暗記だけの数学は歯止めが必要な理由 数学の教えと学びに必要不可欠な視点は何か
理解無視・暗記だけの数学の教えと学びに歯止めを掛けたいとの思いから、2020年12月に『AI時代に生きる数学力の鍛え方』(東洋経済新報社)を出版した。この書に関しては出版当初から相変わらず関心をもっていただいており、教育関係者やマスコミからの問い合わせをときどきいただく。
筆者は大学教員として44年間勤務し、うち24年間は数学科で、20年間は現在の桜美林大学リベラルアーツ学群などで教えてきた。非常勤講師も含めると、大学の授業で約1万5000人、小中高校生対象の出前授業でも約1万5000人に教えたことになる。「ゆとり教育」をやめさせたいという思いから『分数ができない大学生』(東洋経済新報社)の分担著者になった前後から、数学教育に関するさまざまな問題に取り組んできた。
暗記だけの数学の「教えと学び」の問題
子どもたちの数学に対する興味・関心を高めるための出前授業、論述の意義を訴えるため著書・論文を土台にした新聞紙上での拙文の発表、当初から現場とは無関係な教員免許状更新講習制度の廃止を訴えた活動など、思い出すことは多い。
今年度をもって定年退職を迎えることを踏まえると、現在取り組んでいる「暗記だけの数学の教えと学び」の問題が、恐らく残された人生で最も大きな課題になるだろう。
冒頭で紹介した書に対する読者からのコメントは多く、筆者自らが新たに学んだこともいろいろある。ここに、いくつか紹介させていただく。
小学校での算数教育に関する教育環境、とくに教員の指導力が重要であることを訴えるものは深刻に受け止めざるを得ない。
そのような意見で共通していることは、「は(速さ)・じ(時間)・き(距離)」式の暗記だけで教える「く(比べられる量)・も(もとにする量)・わ(割合)」の概念を見ても分かるように、しばらく経つと忘れてしまう指摘がいくつもあった。
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