源平の戦局変えた「源義経の凄い奇襲」意外な真相 平家を大混乱に陥れた「鵯越の逆落とし」

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しかし、源義経は「東国育ちのそなたが、西国の山の案内者になれるとは信じられない」と疑問を呈する。平山は「お言葉を返すようですが、吉野、泊瀬の花は歌人が知り、敵が籠る城の背後の案内は、剛の者が知っております」と答えたが、しっかりとした返答になっておらず、義経も鼻白んだに違いない。

そこに、声をあげたのは、またしても武蔵国の住人。今度は、別府小太郎という18歳の若武者であった。小太郎は言う。

「父・義重が教えに、敵の襲撃を受けたり、深山で道に迷ったりしたときは、老馬に手綱を任せて、先に追い立てて行け、必ず道へ出るというものがございました」

義経は小太郎の言に感心し「殊勝な物言いだ。雪が野原を埋め尽くしても、老いた馬は道を知るという」といって、白葦毛の老馬を先に追い立て、山奥へと入っていく。松にかかる雪はいまだ消えず、風に吹かれて雪が舞うなかを、義経軍は馬に鞭を当てて進む。険しい山、高い岩壁、苔の細道は、兵士の不安をかき立てただろう。

「鹿の通えるところに馬が通れぬはずはない」

進軍する最中、義経の郎党・武蔵坊弁慶が、1人の老人を連れてくる。山の猟師であった。

義経はこの猟師に「一ノ谷を馬で駆け下りようと思うが、どうだ」と尋ねる。するとこの猟師は「それは無理というもの。30丈の谷、15丈の突き出た岩などがあり、人は通れません。まして、馬など到底無理でしょう」と言い、逆落としの無謀なことを諭す。

「ならば、鹿は通るか」との義経の問いには「鹿は通ります」とのこと。この答えを聞いた義経は「それならば、そこは馬場同然。鹿の通えるところに馬が通れぬはずはない」と言い、猟師に案内を頼むのであった。

しかし、その猟師は、自分は老いているとして、息子の熊王(18)を推薦する。猟師は「鷲尾武久」といったので、熊王をその場で元服させ「鷲尾三郎義久」と名乗らせたという(『平家物語』)。

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