「騙してる」とは、整形した人が浴びせられがちな言葉だ。「そう言われたらそうかもしれないけど」と前置いたうえで、真波さんは切り返した。
「私自身、自分がこれだけ容姿にこだわったり、整形に対して貪欲だったり、外見に気を遣っているから、そこに一切気を遣わない人に対してはちょっとモヤッとするところがあるんです。よくない気持ちなんですけど。“ちょっとくらい気を遣ったらどうなの!?”と思ってしまう……。
あとは、自分より全然可愛くない女の子がいて、でもその子が幸せそうだったりしたら、“(可愛くないのに)何がこの子をそうさせるんだろう?”って自分との違いをすごく考えてしまいますね。馬鹿にするというよりうらやましくて、“すごっ!”と思うんです。私も、可愛くなくても不安にならず、幸せでいられる気持ちを持てるようになりたかったなって」
「顔がよくて困ることはない」という残酷な事実
容姿がよければ幸せで、そうでなければ不幸せ。ルールが単純なら目標を定めやすいし、諦めもつきやすい。真波さんは元彼に振られたことも、「本当は短絡的なことじゃないってわかっていました。でもそうじゃないと納得いかないというか、それ以外で振られた理由と向き合うのがこわかった」と分析している。
それでも、美しくあることで自らを傷つけるものを退け、精神的な安寧を得られるなら叶えられる美はひとつ残らずに手にしようと、彼女は整形という宝島で冒険を続ける。幾度となく整形を繰り返してたどりついたのは、「顔がよくて困ることはない」という絶対的な真理だ。
「私はインスタやTikTokが爆発的に流行って、世の中が“顔の世界”になっていく最中に整形と出会いました。でも、今十代の子たちは精神的にもっと大変だと思います。学校でもSNSでも“顔面至上主義”で、電車に乗れば中高生向けの美容医療の広告があったりするし。なので、そうした現状のなか“人は顔じゃないよ!”っていうのはちょっときれいごとかなと。問題が叫ばれているルッキズムについては、“自分はどう向き合うか”が重要で、社会的に“顔がよくて困ることはない”という残酷な事実はしっかり受け止めておくべきだと思います。だから整形をしろというわけではありませんが、本当に美しくなって困ることって、何ひとつないんですよ」
“事実”を受け入れ、心の赴くまま美を求める真波さんには、どこか凜々しささえ感じられた。
ところで、ココ・シャネルの名言に「20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生、50歳の顔はあなたの功績」というものがある。
25歳の真波さんは、今まさに“人生の顔づくり”の直中にいる。
華やいだ笑顔に、自信が見える。
30歳になったとき、そして50歳になったとき、彼女はどんな“顔”で微笑んでいるのだろうか。
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