日本に中国の影響力工作が及ばなくなった理由 戦後の日中経済史を振り返って見える変化

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8割程度の国民が中国に親しみを感じないという傾向は、尖閣領有権問題が本格化し、中国脅威論が高まったこの10年間で大きく変化していない。多くの国民が日中関係の重要性を理解しているにもかかわらず、そのことが中国への親近感に結びつかないのである。対中政策をめぐる世論の分裂がなく、日本人の対中好感度が低水準にとどまっていることは、裏を返せば中国側の影響力工作が行われていないか、またはほとんど機能していないことを意味する。それでは、なぜ中国の影響力工作は日本に対して無力なのであろうか。

歴史をさかのぼると、第2次世界大戦後の日本は、中国の影響力工作につねにさらされ続けてきた。中国による日本社会を対象にした影響力工作は1950年代中頃にまでさかのぼる。スターリン死後の東西冷戦の緊張緩和のなかで、中国政府は対日政策を新たに策定する。それは民間交流を通じて日本国内の世論を味方に取り込み、アメリカと協調して中国非承認政策をとる日本政府に政策変更を迫る「以民促官」と呼ばれる方針であった。

中国は国家間外交でなく「人民外交」を重視

中国側は国家間外交ではなく、日中両国の国民が自発的に交流する「人民外交」を重視していた。具体的には、日本の各界関係者を積極的に中国に招いて、さまざまな民間協定を締結し、民間レベルでの関係を発展させようとした。こうした「人民外交」は革新勢力のみならず、多くの一般の日本人を惹きつけたことは事実である。だが、これらの民間交流は自発的に起こったものではない。中国側の民間団体の関係者は政府に厳しく統制されていた。その意味でこの「人民外交」は、日本とアメリカを離間させることを目指した中国政府による影響力工作の一環であった。

日米離間を目指した中国政府が、最も期待をかけたのが1960年の日米安全保障条約改定をめぐる反対闘争(安保闘争)であった。この頃、中国政府は、日本国内で反米運動が高揚していることに着目し、岸信介政権への対決姿勢を打ち出した。中国側は、野党第一党の日本社会党による安保闘争を全面支援しただけでなく、保守勢力の分断を図るべく、自民党内の反主流派に積極的な訪中を働きかけた。

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