源義経、わずか500騎で木曽義仲に勝てた納得の訳 源氏同士で戦った「宇治川の戦い」の内情
さて、宇治川の先陣争いは『吾妻鏡』や『玉葉』などには記されていない。よって、この話は虚構と考えられていたが、『拾珠抄』に高綱が太刀で大綱を切り捨て、宇治川を渡河したとの記載があることから、事実であるとする研究者もいる。
宇治川の戦いは木曽方が敗北したが、もはやこれまでと思った義仲は「最後のお暇」のため、院御所に馳せ向かう。法皇や公卿は「何をされるかわからない」とおびえ、神仏に祈っているばかりであった(『平家物語』)。
義仲が門前まで来たところで「東国勢、賀茂河原まで進軍」との報が入ったので、義仲は法皇に挨拶することなく、その場を立ち去る。『玉葉』によると、義仲は法皇を擁し下向しようとしたが、敵軍が襲来してきたので、それが叶わず、慌てて防戦するために去ったという。
後白河法皇と対面した義経
都に入った義経は、院の御所が気がかりとして、自ら六条殿に向かう(『平家物語』)。土煙を立て向かって来る武装した武者たちを、御所のなかの人は「また木曽が来た」「この世の終わりだ」と誤解し恐怖するも、東国の軍勢であると気づき安堵する。
「東国から前兵衛佐頼朝の舎弟・九郎義経が参りました。門をお開けください」と義経が大声をあげると、御所内の人のなかには歓喜し、土塀から飛び降り転倒するもの(大膳大夫業忠)もいたという。
法皇と対面した義経は、法皇から「この御所をよく警護せよ」との命を受ける。義仲の敗退が確定した瞬間であろう。
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