故・大野耐一氏から託されたたすき PEC産業教育センター所長・山田日登志氏④

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やまだ・ひとし PEC産業教育センター所長。故・大野耐一氏から学んだトヨタ生産方式の伝道者であり、またの名を「工場再建請負人」。1939年岐阜県生まれ。南山大学卒業後、中部経済新聞社、岐阜県生産性本部を経て、78年同センター設立。『ムダとり』ほか著書多数。

一人屋台生産方式は人間力を引き出します。性格は変わらんというけど、人間変わりますよ。暗かった人が明るくなる。自分が仕事を変えたことで、生産性や品質が現実に上がるんだから。ただ全体では、慣れんことやめて戻そうという人が6割。コツつかんで、これは苦労してもやったほうがよくなるから続けよう、という人が大体2割ね。

工程改善に走り回って30年、その間には失敗もあったし、反発買って「あいつは現場の敵だ」って、橋の上から突き落とされたこともある。いろんな目に遭ったね(笑)。

すべての始まりは、トヨタ生産方式の生みの親である故・大野耐一先生との出会いやった。岐阜県生産性本部時代の1971年、セミナーの講師に当時トヨタの専務だった大野先生を呼んだ。とにかく人が足りんという時代、いかに採用するかというテーマだったんです。ところが大野先生は「使い方が下手で人が足らんのじゃ」と。トヨタに見にくればわかると。トヨタに通って教えを受けるうちに、僕はのめり込んだ。カイゼンで本当にラインから「省人」できるんやと。7年通いました。

現場で会話した人は真剣になる

その間、月曜朝は生産性本部をサボって、学んだことを地元の家具屋や縫製会社へ応用していった。すると半年で生産性が倍に上がり、話を聞きつけたお客さんが増えて、当時の月給12万円に対し、御祝儀袋で30万円くらい稼げるようになった。

大野先生はいったん現場入ると、ものしゃべらんで手のほうが早い。机はぶつけられるし、パレットは飛んでくるし。その大野先生が、最後に言われた。「トヨタ生産方式を君らで完成してくれ」と。そして亡くなる一月前、色紙に書をしたためて、その中の「改善魂」という言葉に「トヨタタマシイ」と仮名を振ってくれたの。やってやってやり抜いて、実験繰り返してもっとやって、失敗してもやめたらあかん。原因追及して次の手を打て、と。

今も大野先生の月命日には墓参りに行きます。僕が行けなんだら代わりに行ってもらう。先生が亡くなった頃はまだ少なかったお墓の花も、今は“満員”になってますよ。

多くの会社で経営が頭でっかちになって現場軽視が進み、行き詰まった。経営者はもっと現場に出てください。人がよくなる。現場で会話した人は真剣になる。紙の上で野球の面白さ説明しても無理や。自分でエラーしたり三振したり、ホームラン打てたりしないと。そこへ経営学を戻さなあかんと、僕は今盛んに言ってる。会社がよくなります。

週刊東洋経済編集部
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