また一方で、政治改革における自身と木戸の考えの違いについても、大久保は妥協点を探っている。両者の考えの違いは、それぞれの性格を表しているので、説明しよう。
大久保は、政府に左大臣・右大臣を1人ずつと少数の准大臣を置くべきだと考えた。つまり、これまでの大納言や参議をなくしてしまい、参議の職務を諸省の「卿」が代わって担当する。そんな体制を考えて意見書を作成している。
だが、この大久保の改革案について、木戸は「諸省の権限が強すぎて政府としてまとまらないだろう」と反対。また木戸には、こんな心配もあった。諸省の卿が参議の職務を行った場合、その上に立つ左大臣・右大臣は実務に疎くなる。結果的に、卿が立法・行政の全権を握ってしまうおそれがある、と指摘した。
大納言と参議を1つにする考えを持っていた木戸
では、木戸はどう考えたのか。木戸は、大納言と参議を廃止するのではなく、両者を1つにして立法官としての地位を明確にしようという考えだった。そして、行政権を持つ各省とともに政治を行うのがよいのではないかと主張する。
行政権を優位にしたい大久保と、行政権と立法権を両立するべきとした木戸。そして、西郷はといえば、政府首脳部の一元化を求めて、1人の人間に権限を集中させようとしたのだ。
これはどの組織においてもいえることだが、同じ組織にいる以上、大きな目的は合致している。明治新政府の場合は、改革を行うにあたって、いかに政策を実行しやすい政治機構を作るのか。その点では一致しており、その方法論が三者三様であるにすぎない。
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