西郷と大久保の連携プレーで外堀を埋めてから、木戸に参議就任への打診を行っている。西郷は今回の改革について、同郷の薩摩藩士への手紙でこんなふうに説明している。
「3藩がただ集まっただけでは駄目で、根源を堅くしなければ政府強化にはならず、そのため3藩のなかから主宰を1人立て、他は手足となることが必要である」
3藩とは、薩摩・長州・土佐のことである。西郷は、その主宰に木戸を立てようとした。だが、木戸は単独参議の就任を拒絶。何度、説得してもなかなか首を縦に振らなかったのである。
自分だけが重責を背負わされるのをおそれた
新政府に対してさまざまな意見を持ちながらも、なぜ木戸はトップリーダーになることを拒んだのか。
それは、自分だけが重責を背負わされたうえで、難しい改革への決断を迫られるのをおそれたからだ。大久保や西郷への不信感もある。明治新政府が直面している難局を、自分に押し付けて、うまくいかなければハシゴを外すのではないか。そんな警戒心が頭をもたげた。
木戸は、以前の名を「桂小五郎」といった。命を狙われる危ない場面で、見事に逃げおおせたことから「逃げの小五郎」との異名をとる。それだけ危険察知力が高かったのだろう。
それでも、何としてでも引き受けさせたい大久保は、木戸が拒絶する際の言葉に着目した。あるときに木戸は「西郷が引き受ければよいじゃないか」と言って反論した。ここに突破口があるとみて、大久保は西郷を説得する。木戸とともに参議を受けよ、というのだ。
西郷が人事の刷新を条件にこれを引き受けると、木戸に大久保はこう伝えている。
「同じく西郷が参議を引き受ける準備ができているから、引き受けてほしい」
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