西郷と大久保がリーダーに推薦「木戸孝允」の実力 「維新の三傑」の1人で、異名は「逃げの小五郎」

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「維新の三傑」の1人、木戸孝允(桂小五郎)はどんな人物だったのでしょう(写真: skipinof/PIXTA)
倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
大久保利通は、どんな人物だったのか。その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第30回は「維新の三傑」と称される大久保、西郷、そして木戸孝允の関係に迫ります。
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<第29回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだが、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた。
ところが、戻ってきた西郷は久光の上洛計画に反対。勝手な行動をとり、再び島流しとなる。一方、久光は朝廷の信用を得ることに成功。大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫るため、朝廷側のキーマンである岩倉具視に「勅使派遣」を提案。それが受け入れられ、勅使には豪胆な公卿として知られる大原重徳が選ばれた。
得意満面な大久保を「生麦事件」という不測の事態が襲うが、実務能力の高さをいかんなく発揮し、その後の薩英戦争でも意外な健闘を見せ、引き分けに持ち込んだ。
勢いに乗る薩摩藩。だが、その前に立ちはだかった徳川慶喜の態度をきっかけに、大久保は倒幕の決意を固めていく。閉塞した状況を打破するために尽力したのが、2度目の島流しにあっていた西郷の復帰だった。復帰後、西郷は勝海舟と出会い、それまでの長州藩討伐の考えを一変。坂本龍馬との出会いを経て、薩長同盟を結び、大久保と西郷は倒幕への動きを加速させる。
武力による倒幕の準備を着々と進める大久保と西郷。ところが慶喜が打った起死回生の一策「大政奉還」に困惑。さらに慶喜の立ち回りのうまさによって、薩摩藩内でも孤立してしまう。
一方、慶喜もトップリーダーとしての限界を露呈。意に反して薩摩藩と対峙することになり、戊辰戦争へと発展した。その後、西郷は江戸城無血開城を実現。大久保は明治新政府の基礎固めに奔走し、版籍奉還、廃藩置県を実現する。

「1人に権力を集中」で西郷と大久保の意見が一致

権力に固執した冷酷な大久保に対して、寛容で人なつっこい西郷どん……そんな対照的なイメージで語られがちな2人だが、実像はそう単純ではない。西郷は明治新政府への復帰にあたって、こんな大胆な申し出を行っている。

「自分に政治改革の一切を委ねてほしい」

しかし、西郷に私心はない。そのことは大久保がいちばんわかっている。だからこそ、西郷がこう言い出したときも異論はなかった。

「1人の参議に権力を集中させたほうがよいだろう」

今でいうところの「首相」である。とはいえ、西郷は自身がトップリーダーになる気はなかった。一切を引き受けたのは、あくまでも「政治改革」である。政治改革をスムーズに進めるためには、誰を立てるのがよいか。

西郷が1人の名を挙げたところ、大久保も同じ考えだったようだ。意見が一致した2人は、その男に単独で参議を引き受けるように働きかける。長州藩の木戸孝允である。のちに大久保と西郷とともに「維新の三傑」の1人とされる人物だ。

次ページ「維新の三傑」は決して一枚岩ではなかった
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