国際文化会館とAPIは統合で一体何を目指すのか 船橋API理事長と近藤・国際文化会館理事長に聞く
――国際文化会館の初代専務理事の松本重治氏は、戦前、アメリカのエール大学に学んだ知米派であり、同盟(現在の共同通信)の上海支局長時代に、西安事変をスクープしたジャーナリストでした。そして、戦後に国際交流事業に身を投じられました。船橋さんも、元々は米中双方に通じたジャーナリストで、朝日新聞の主筆をお務めになったあとシンクタンクを設立されており、創設者のお二人に不思議な縁を感じます。
船橋:私は松本重治のような世界的な大スクープを放ったことはありませんし、松本重治のようなその後の南京虐殺を含む日本が起こした戦争のまさにど真ん中で走り回る戦場の記者という極限の経験もありません。私の現役時代、日本は平和の時代でした。ありがたかったと思っています。
私の場合は上海ではなく北京の特派員でした。1980年から1981年です。今から思えば、戦後の日中関係の黄金時代だったかもしれません。この間も去年、亡くなったエズラ・ボーゲルをしのぶシンポジウムがあり、五百旗頭真先生の司会の下、私もパネリストの1人として招かれたので、そのときに申し上げたのですが、1981年にボーゲル先生が北京で全国政治協商会議に招かれ、やってきて、2000人の協商会議委員の前で講演をした。
私はボーゲルさんに武見敬三さん(現参議院議員)とともに特別ゲストで招かれ、最前列でその講演を聞くことになったのですね。武見さんは当時、テレビのコメンテーターをやっていてその関係で北京に来ていたのです。委員たちはみんな人民服で、女性は全員、おかっぱでお化粧をしていませんでした。彼がそこで話したのは一言でいえば「日本に学ぼう」ということでした。
だから日本の企業は強い
総合商社というのが日本にはある。商社員たちは世界中に行き、現地の言葉と文化を学び、その社会に溶け込んでビジネスをしている。とても優秀な人たちで、その気になれば会社を飛び出して自分で会社をつくることができるような人たちばかりだが、彼らはやりがいを感じてその会社で一生働く、だから日本の企業は強いんです。そんな感じです。
総合商社は中国語でZong He Shang Sheで一声、三声、一声、四声なのですが、それを律儀に発音していました。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の大ベストセラーを出版した直後です。鄧小平が再登場し、胡耀邦が党の総書記になり、改革・開放を加速しようというときでした。日本への関心もあこがれも強かった。
脱線しましたが、もう1つ脱線させてもらうと、私が中国に関心を持ったのは、北京生まれで、父も祖父も中国との縁のある仕事をしていたということもあるのですが、大学に入って中国研究を志そうかと思っていたとき、エドガー・スノーやアグネス・スメドレーなどアメリカのジャーナリストの書いた中国のルポを読んだことが決定的でした、ジャーナリストの仕事は面白そうだな、とそれでジャーナリストになろうと思ったのです。