天皇は、なぜ「満州事変」に言及したのか

「日本のリベラリズムの危機」を考える<1>

また、2004年秋の園遊会では、東京都教育委員会の委員が天皇に話しかけ、教育現場において、起立し、国旗(日の丸)に向かって国歌(君が代)を斉唱するという規定を教員に遵守させることが自身の仕事だと説明したが、天皇はこの委員に苦言を呈した。天皇は国旗国歌について、これを強制するのは望ましいことではなく、個人の判断に任すべきだと述べた。2005年春の園遊会でも天皇は同様のコメントをしている。

宮内庁は天皇の発言は政治的な意味合いを持つものではなく、憲法上の権利が侵害されたと主張していた教員たちへの精神的な支えとなるメッセージを含んだものだと説明しているが、果たしてそうだろうか。

石原莞爾が目指していたこと

今、満州事変に言及するならば、天皇は現在起こっている歴史的な論争に立ち入っていることになる。なぜならば安倍首相や、同様の歴史修正主義の立場をとる他の政治家は、日本の侵略を正当化し、それが西欧諸国の征服という圧力を解消することを狙った汎アジアの解放を目指す戦争だったと主張しているからだ。歴史修正主義者は、(アメリカ、イギリス、中国、オランダによる)ABCD包囲網と呼ばれる西欧列強からの圧力の高まりに対する防衛戦争だったとも主張している。

しかし、戦争の開始が1931年だったと明言したことにより、天皇は奉天市における関東軍の策略に原点を求めたことになる。

関東軍は、自ら南満州鉄道の爆破を実行しておきながら、中国人テロリストの仕業である、と主張。この事件を口実に全面的な侵略と満州鎮圧に乗り出した。この解釈は学者たちが十五年戦争(1931年~45年)と呼ぶものだ。十五年戦争は、中国における日本軍の侵略の拡大と、中国を征服するために必要な資源を確保するために東南アジアにおいても戦争を展開するという1940年の決定を指す。

満州事変を起点とする解釈は、日本の帝国主義を隠蔽する道具としてのアジアの解放というテーマを棄却するものだ。また、1931年の日本は包囲された状態にはなく、むしろ中国の一部に進攻し、独裁政治を推し進め、太平洋における覇権をめぐる米国との来るべき戦争に備えていたといえる。満州事変を計画した石原莞爾は、日本を率いる軍事戦略家だったが、第一次世界大戦の教訓を仔細に研究していた。総力戦は、勝利へ向けた無制限のアプローチを意味する。そこでは、市民が攻撃の対象となり、経済制裁が戦争上の武器となった。

第一次世界大戦におけるドイツの敗戦は経済制裁が原因であり、戦争の遂行に必要となる軍事力をドイツが失ったのは経済制裁のためだと石原は考えた。石原が満州を支配下に置くことを主張したのは、そのためだった。日本がその軍事力のために必要としながらも、国内では確保できない資源に満州は恵まれていた。

日本が独裁体制を推し進めた狙いは満州の資源を奪取し、来るべき戦いに備えることだったのだ。汎アジアというテーマは、今日の保守主義者にとってはさらに魅力的だ。というのも、汎アジアを持ち出すことによって、私欲を持たず他国の利益のために自らを犠牲にする国として日本を位置づけることができるからだ。だが一方で、満州の構想により、日本は他の帝国主義国家と同様、資源と市場を確保するために国々を侵略する強欲な略奪者のように映っている。

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