ロシアを相手に交渉で問題解決を到底望めない訳 ウクライナで近年起こった事例から浮かぶ背景

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独立記念碑の前で待ち合わせた(筆者撮影)

2004年に行われた大統領選挙では、与党代表でロシア寄りのヤヌコーヴィチ氏と、EUへの帰属を目指す野党のユシチェンコ氏が激しく争いました。結果は僅差でヤヌコーヴィチ側の勝利が宣言されます。しかし、選挙に不正があったと主張する親EU派がキーウなどで抗議行動を起こします。

ヤヌコーヴィチ氏はロシアの支持を得て、選挙の正当性を主張します。これに対して、西側諸国は野党側の支持を表明しました。EUへの帰属を求める野党支持者は、オレンジ色のマフラーを身にまとい行動を起こします。

民衆の強固な反対運動により、2つの勢力が争う形で、再選挙が行われます。結果的に野党でEU寄りのユシチェンコ氏が勝利しました。この無血の政治転換は、支持者が使ったシンボルの色から「オレンジ革命」と呼ばれています。これ以降、ウクライナはEUとの連携を深める方向に進みます。

ロシア寄りの大統領の登場

大統領に就任したユシチェンコ氏ですが、失政を繰り返し、政権は不安定となります。結局、民衆の支持を失い、2010年の大統領選挙で敗れます。この時、台頭したのがオレンジ革命で失脚していたヤヌコーヴィチ氏です。選挙の結果、今度は正式に大統領に就任しました。

親ロシア派の彼は、EU側に傾いた政策を戻そうとします。その一連の行動として、2013年にEUとの政治・貿易協定の仮調印の正式化を見送ります。この背景にはプーチン大統領の圧力があったと言われています。

親ロシア住民が多く住む東部出身のヤヌコーヴィチ氏は、停滞する国内経済をロシアとのエネルギー関連事業によって再生させる方針を出しました。しかし、彼やその周りの政府関係者がさまざまな利権に関わり、私腹を肥やしていることが明らかになります。ついに民衆が立ち上がり、ユーロマイダンに向かいます。マイダンは広場に集まり抗議行動をすることで、EUへの帰属を目指したのでユーロマイダンと呼ばれます。

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