ウラジーミル・プーチン大統領のウクライナに対する戦争が始まったのは今年2月ではなく、8年前の2014年2月にプーチン大統領がクリミアを占領し、ウクライナ東部2地域に傀儡政権を樹立した時のことだ。プーチン大統領は今、ウクライナにこれらを「独立した共和国」として承認するよう要求している。
何がきっかけで、プーチン大統領は侵攻を急に開始したのだろうか。それは、ウクライナの首都キエフに居座っていた、プーチン大統領の傀儡ヴィクトル・ヤヌコビッチなる男を、ウクライナ国民が2013年の「ユーロマイダン革命」によって追放したからである。
この反乱は、ロシア政府の命令で、当時ウクライナの大統領だったヤヌコビッチ氏がEUへの完全加盟を目的とした協定を破棄したことに始まる。ヤヌコビッチ氏はその代わりに、ロシア側の対抗勢力であるユーラシア経済連合への加盟を目指した。プーチン大統領によるウクライナ領土の掌握は、彼がロシアに亡命する2日前に始まっていたのである。
ウクライナがEU加盟を望む理由
ブレグジットが行われるような時代に、ウクライナの一般国民がEU加盟への望みから、ロシア政府の支配下に置かれていた独裁者に対して立ち上がったことは驚くべきことである。何が人々を街頭に駆り立てたのだろうか。それは、EUへの加盟が、ウクライナを独立した自由で豊かな民主国家にすることと結びついている点にある。
この目標にはヨーロッパ並みの生活水準を達成することが含まれており、これはEUへの加盟なくしては実現できない。ポーランドはベルリンの壁が崩壊した1989年に西欧側に鞍替えした。それに比べてウクライナはどうか。余りにも長くロシアに強く束縛されている状態だ。
ロシアの影響力は非常に強大で、2002年の時点では、ロシア政府の誰かがスイッチ1つでウクライナの電力を停止することができたほどだ(幸いにも、現在はそのようなことはない)。ポーランドの1人当たりGDPは1990年から3倍になったが、ウクライナの1人当たりGDPは1990年代に半減し、2020年現在でも30年前の水準より25%低い(グラフ参照)。
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