ロシアを相手に交渉で問題解決を到底望めない訳 ウクライナで近年起こった事例から浮かぶ背景

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国際情勢を議論するとき、今、表面に現れている事象や、間接的に伝わる交渉の条件だけで、賛否の議論をするのは十分ではありません(写真:chormail/PIXTA)

拙著『オックスフォード 世界最強のリーダーシップ教室』でも詳しく解説していますが、ディベートでは、意見の主張の根拠を示すことが重要です。特定の国が取る行動は、その背景となる、これまでの歴史的経緯を把握する必要があります。

前回(「3年前、ウクライナに渡って知った戦時対応の背景」5月1日配信)、紛争の現状を今の時間軸だけで見るのではなく、どのような経緯で起こったのか背景となる歴史を確認する重要性に触れました。

今のウクライナ側のロシアに対する立場は、2004年のオレンジ革命と2013年のユーロマイダンの把握なしには理解が難しいと思われます。

今回は、筆者が調査した2019年のウクライナの現地ガイドの記録を基に、この2つの事件を少し詳しく見てみます。

キーウの独立広場

まだ夏も終わらないのに、その日は冷たい雨が降っていました。

画像をクリックすると、ウクライナ問題を伝える記事一覧ページにジャンプします

背の高い独立記念碑の前で待ち合わせしたのが、ガイドのニコライ(仮名)でした。彼は2013年から始まったキーウのユーロマイダンを目撃しています。この事件の伏線になったのが2004年のオレンジ革命です。

1991年のウクライナ国家再興後も、ロシアにエネルギーなど資源の多くを依存していました。また南東部には、ロシア語を話す住民も多くロシアとの関係も強いのです。一方、キーウを含む中西部は、EUとの交流や経済統合を推進する人々が多く住みます。このように、大きく分けるとロシア寄りと、EU寄りという国内で異なる立場があります。

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