2月20日、ニコライの友人は大統領府のある丘に向かう抗議行動に加わりました。ここを占拠するためです。ニコライは止めたのですが、友人は言うことを聞かずに出発します。
突然の銃声が立て続けに響き渡り、独立広場にいたニコライも思わず耳を覆ったそうです。丘の上に向かう抗議集団に、何百発もの銃弾が撃ち込まれました。
ニコライは、坂道に向かいましたが、そこには目を疑う光景が広がっていました。友人の亡骸を見つけて呆然とする彼に、そばにいた老婆が震えながら言ったそうです。
「だから、私は言ったんだよ。丘の上のビルには狙撃兵がいるから、進むのはやめなって、この人に。なのに……」
この老婆は近くに住んでおり、この日の異様な雰囲気に気づき、あたりを見回しました。そしてビルの窓から、通りに向けて銃を構える兵士たちを見つけたのです。
抗議行動で坂を上ってくる集団に気づき、慌てて危険を知らせに走りました。だが、彼らは静止を振り切り遠くを見つめて言ったそうです。
「ありがとう、おばあさん。でもこれは、僕たちのためじゃない。将来の子供たちの自由のために進むんだ」
この日、100名近くの若者が銃弾で命を失います。防御する警察側にも銃弾で亡くなった人がいます。誰の命令で、なぜこのような発砲事件が起こったのか、今も明らかになっていません。後に、この坂は自由を守るために犠牲になった若者のために、「天国の100人の英雄」通りと名付けられます。私が訪れた時も、彼らの写真を飾った慰霊碑がありました。
ユーロマイダンの影響
この悲惨な事件は世界に一斉に報道され、ウクライナ政府は厳しい非難を受けます。結果的に、ロシア寄りのヤヌコーヴィチ大統領は、22日にキーウを脱出します。しかし、他の地域も反対勢力が多くマイダンが組織されていました。彼は身の危険を感じ、最終的にロシアへ亡命します。
差し押さえられた彼の住居は、広大な敷地の中に豪華な建造物や調度品があり、「汚職の博物館」として公開されています。
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