実は遷都でなく奠都「首都東京」誕生の歴史的事情 大久保利通は当初「大阪遷都」熱望したが転換

印刷
A
A

前島は、大久保が推していた大阪への遷都について「道路が狭い」「港湾は大型船に不適切」「開拓が必要な蝦夷地から遠い」といった点を強調。同時に、東京を推す理由も述べている。

「江戸は諸侯の藩邸などが利用でき、官庁などを新築する必要がない」

ただし、前島が大久保に出したという手紙の原本は見つかっていない。江戸遷都の建白書として広く知られている内容は、前島の談話を吉田東伍が筆記した『夢平閑話』からの引用である。前島の記憶をもとに復元されたものだという点は、留意しておきたい。

また、同時期に、館林藩士の岡谷繁実は「東京遷都論」を唱えて、大木蕎任と江藤新平は「東京・京都併置論」を提案している。そんな状況のなか、大久保は江戸城の開城や、前島らの意見も踏まえて、現実的な東京遷都へと舵を切ることとなった。

「東京奠都の詔」が発せられた

慶応4(1868)年7月17日、江戸を「東の都」とする詔が発せられた。そう、あくまでも「東の都」である。

この連載の一覧はこちら

詔の名も「東京奠都の詔」とされている。「奠都(てんと)」とは「都を定める」ことを意味する。都を移す「遷都」ではなく、都を新たに置く「奠都」だという姿勢を、明治新政府は貫いた。

おそらく大久保は「大阪遷都」をまずはぶちあげて、公家や京都の町衆の反応を注意深く観察していたのだろう。そのうえで「遷都」ではなく「奠都」とすることで、公家たちの反発を抑え、東京を新たな都に位置づける道筋を作ったのである。

大久保は「江戸」改め「東京」への天皇の行幸を願い出た。そして9月20日、天皇を乗せた鳳輦(ほうれん)が京都を出発する。年号も「慶応」から「明治」に改められ、名実ともに新しい時代の幕開けを迎えることとなった。

(第28回につづく)

【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
西郷隆盛『大西郷全集』(大西郷全集刊行会)
日本史籍協会編『島津久光公実紀』(東京大学出版会)
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
勝海舟、江藤淳編、松浦玲編『氷川清話』 (講談社学術文庫)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
鹿児島県歴史資料センター黎明館 編『鹿児島県史料 玉里島津家史料』(鹿児島県)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵”であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
萩原延壽『薩英戦争 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄』 (朝日文庫)
家近良樹『徳川慶喜』(吉川弘文館)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜―将軍家の明治維新増補版』(中公新書)
平尾道雄『坂本龍馬 海援隊始末記』 (中公文庫)
一般財団法人 日本開発構想研究所『東京遷都の経緯及びその後の首都機能移転論等』(国土交通省 国土政策局 総合計画課)
佐々木克『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館)
佐々木克『江戸が東京になった日 明治二年の東京遷都』(講談社)
渡部一郎『遷都論のすべて』(竹井出版)

佐々木,克『東京「遷都」の政治過程』(人文學報)
前島密『郵便創業談』「 夢平閑話」(前島密伝記刊行会)

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
トヨタが新型クラウンから始める販売改革の衝撃
トヨタが新型クラウンから始める販売改革の衝撃
ソフトバンク「20兆円ファンド」急ブレーキの難局
ソフトバンク「20兆円ファンド」急ブレーキの難局
平気で「サラダ」を食べる人が知らない超残念な真実
平気で「サラダ」を食べる人が知らない超残念な真実
年金大改正、何歳から受け取るのがトクなのか
年金大改正、何歳から受け取るのがトクなのか
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
  • 新刊
  • ランキング
東洋経済education×ICT