NYで開眼!栃木で「竹の農場」盛り上げる男の発想 IBMの中庭を見たことが家業の再興に繋がった
しかし再び若山農場を時代の波が襲う。
「栗に続いて、タケノコも中国から輸入されるようになり、新品種を作っても儲からなかったのです。次に父は竹材の価値を高めようと、竹垣に使う耐久性の優れた竹材開発に打ち込みました。特許まで取ったのですがそれで満足してしまい、これも利益にはつながりませんでした」
東京に逃げ雇われ社長になった若山さん、再び家業へ
苦しい家業から逃れるために、長男でありながら若山さんは東京の大学に進み、そのまま造園の施工会社に就職する。実家にはもう戻らないと心に決めて。
「ランドスケープの仕事で、とてもやりがいがありました。バブル景気で大きな仕事が次々舞い込んできましたしね。競うように大規模再開発が続く中で、建築設計業界からある問題が提起されたのです」
それは、無機質な都市の高層建築に映え、日本らしさが伝わる植木がないという問題だった。松も梅も桜も癖が強すぎて、都市空間には不釣り合いであるためだ。そんな時にニューヨークに出張した若山さんは、IBM本社の中庭で衝撃の光景を目にしてしまう。
「IBM本社の中庭にモウソウチクが植えられていたんです。空を突き刺すようにすらっと伸びた緑の稈と木陰でくつろぐ人々を見て、これだって思いました」
設計者は、当時ピーター・ウォーカーという建築会社に勤めていた三谷康彦氏。三谷さんが日本に戻っていることを知った若山さんは、すぐに日本の都市空間でのモウソウチクの使い方について教えを請いに行った。ところが日本では無理だとの予想外の回答。「狭いスペースに植えるとタケはうまく育たない。枯らさないためには、地面から5メートル以上には成長させられず、先端を切らなければならない。そんな竹の姿は見せたくない」、と三谷さんは憤慨して語ってくれたのだそう。
自分でも切り詰めて使っていた若山さんは、このとき、実家がタケのプロであることを思い出し、父に何かよい方法はないかと尋ねてみた。すると意外な答えが返ってきた。
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