「不動産会社はバタバタ倒産するような状況で、私も必死で働いていました。日々のポスティングはもちろんのこと、チラシ配りをしてその辺歩いている人をモデルルームに連れて行ったり、テレアポもやってましたね。彼氏とは別れたばかりで、奨学金の返済がある以上、簡単に仕事は辞められないし、実家への仕送りなんて気にしてられないし……。
でも、学生時代に死ぬほどバイトしてきたせいか、なんだかんだ乗り切れちゃったんです。働くことへの耐性が、大学4年間で身についたみたいで」
こうして、持ち前のガッツでリーマンショックを乗り切った中島さん。転職も経験し、生き馬の目を抜く不動産業界で順調にステップアップし、30歳を過ぎて結婚もした。
父がなぜか上京していて…
だが、給与も生活も安定したころ、まさかの父親に関する連絡が実家から届いた。
「東京の病院から『お父さんが倒れた』という連絡が来たんです。なぜ地元にいるはずの父が東京に? 実は父は上京し、一人暮らしをしながら働いていたんですね。でも、東京には地元にはない娯楽があるものですから、またお金を使い込んでは消費者金融でお金を借りて、最終的に病院から連絡がくるという……」
診断は 「脳溢血」――。父親の容態は心配だったが、なんとか一命は取り留めた。が、父のお財布状況は、すでに終わっていたようだ。
「父が当時住んでいたアパートに行ったところ、懲りずにまたクレカのキャッシングとサラ金を利用していたことが判明したんです。
だから、部屋中を隈なく探して、クレカや金目の物は全部私が預かりました。車も私が勝手に売る手配をして、クレジットカードもいくら負債が残っているのかを把握して、アパートも退去の手続きをして、不用品回収を呼んで部屋中をきれいにしてもらって、退院後は父を地元に強制送還させました。
当時、父の借金は250万円ぐらい。うち200万円を私が肩代わりして、『残りは自分で返すように』と言って、父に戻しました」
奨学金をかなり返せる額の貯金が、父の借金返済に消える……なんとも過酷な状況だが、今になって振り返った時、金銭的に一番キツかったのは先に述べた父の借金返済時よりも、独身時代の20代後半だったという。社宅を出たことと、友人たちの結婚ラッシュが重なったことが原因だ。
「私は地元も大学も地方なので、結婚式に参加すると、お金が結構かかるんです。ご祝儀代とは別に、交通費が最低でも2万円はかかりますし、地方ならではのお足代も実際はあんまり出ません。
だけど、私は『学生時代も過酷な社会人生活も、友達のおかげで乗り切れた』と思っているので、出席を断るわけにはいかなかった。いろんなことが重なった時は、日本学生支援機構に『来月はたぶん返済できません』と電話して、猶予の手続きをしたこともあります。
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